くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

真偽、解毒、無駄

始めから味わわなければよかった、ということが多い。

偽りの愛情でも触れてしまったら、それを本物の愛情だと勘違いして妄信してしまう。

本当の愛情を知らないから。本当の愛情といったものを知る機会など限られているが。

 

ほとんどの人間が初めて愛情を受け取る相手が、保護者だろう。

保護者と書いたのは、親がいない人なども含めた場合のことを考えてのこと。

 

先ほど書いた通り、何が本物で何が偽物の愛情かなど判断しようがない。

だから、保護者に与えられた愛情が歪んでいても、それを疑いもせずに信じてしまう。

比べるものがないのだから、それが愛情だと言われたら信じるしかない。ということだと思う。

 

だからこそ、毒親といったキーワードが出てきているのだと思う。

自分の親はまともな言動をする人間だと信じ、それが傍から見れば理不尽であったり不可解であったりしても、疑わずに従う子供。

 

気づいたときには大体、何かしらの影響が精神(脳)に与えられていて、手遅れだったりする。

解毒する方法はあるのかもしれないが、毒親も千差万別のため、決まったものがない。

だから、一人ひとり、毒親というものに苦しんでいるのだろう。

 

父の日が近いということもあり、親を素直に敬うことのできる人が羨ましくなる。

親のためにプレゼントを選び、それを渡した際に喜ぶ姿を見て自分も嬉しくなるといった様な話が。

 

僕には親を敬う心が全くない。

現在、迷惑をかけながら生かされていることについても、負い目はかすかにある程度で、謝ろうという気持ちも強い罪悪感もそれを改善しようとする気もない。

その下地には、僕を保護してくれなかったことについての恨みがある。

 

一番近くにいたのに、何もしてくれなかった。

何も知らない人がこの文章を読めば、「こいつはなんでも人のせいにする甘えた馬鹿なガキだ」と判断するのだろうが、もう説明も面倒くさい。

 

僕が傷ついている間に何もせず、それどころか僕を余計に傷つけ、追い込み、脳を壊した人間と、それを傍観していた人間を、どうして敬うことができるのか。

 

「産んでくれたことに感謝を」などと宣う輩がいるが、「お前は要らない」と直接、親から言われたとして、それでもその台詞を吐くことができるだろうか。

僕が必要だったのは、両親が結婚をするためであって結婚をしてしまえばもう価値はない。

子供は離婚の弊害となる鎖のようなものとなる場合があるかもしれないが、僕の場合はその鎖にすらなれず、ただのきっかけに産み落とされた不必要な命でしかなかった。

 

それを実際に知ってから、自分の価値や存在意義を強く意識するようになったし、自己肯定感が上がることもなくなった。

どんな言葉も前向きに捉えられず、返答する際にはありがとうと言っていても、実際はそんな風には思えなくて。

 

どのような命も尊いという人もいるだろうが、それでは実際に僕を尊い存在として扱い続けてくれるのか?

一時の励ましで適当な言葉で誤魔化すのはもういいよ。

 

価値とは人に与えられるものなのだろうが、その与えられた価値を実感できなければ、いつまでも自分は無価値であるとしか思えない。

だからこうして今も、無駄な命を無駄に時間を浪費して無駄に生かされている、と言う感覚でいる。

 

自分の口癖。無駄。

自分自身に常にまとわりついている言葉だから。

以上。