くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

死。

死ねなかった。

それだけ。

線路に横たわるわけでもうずくまるわけでもなく、目の前に立っているだけだった。

ただ怖くて、動悸がして、胃が痛くなって、帰ってきた。

 

帰ってきて、普通に生活して、普通にこうやって文章を打っている。

どうせできないであろうことを試してみた。

結果、ダメだった。

わかっていたことを試しただけ。

 

勇気が足りないというのでなく、正気をまだ保っている。

正気がなくなるほどの絶望があれば良いのだけど、緩やかな失望と無駄な希望で。

「いつか」は訪れない。

来るときになったら、勝手に死ぬものだ。

選択肢がなくて、死しか道がなくなる。

 

それだけ。

いつも通りの厭世観

アランウェイク リマスタードの覚書。

まず、2週目は何の引継ぎもない。

各章、装備が別なので、丸腰だったら丸腰のまま。

 

クリアした難易度なら、チャプターを選ぶことができる。

 

なので、コーヒーポッド集めや原稿集めをするときに、章の始めからやる必要はない(取り損ねた収集物が章の始めの方だった場合は例外)。

 

トロフィーの、チャイルド オブ エルダー ゴッドについて。

これはXbox版とトロフィー名と説明が違っているけれど、取得方法は同じ。

つまり、アンダーソン農場での野外ステージで戦う際に、画面が灰色にならなければいい。

 

コーヒーポッドだけは、説明動画を見ながらまとめて取得した方が良い。

大変。

 

締め切り厳守はイージーでOK。

意外に余裕がある。

 

追記あるかわからんけど。

というか、需要があるかわからないけど。

最適解

人と仲良くしようとすると、気を遣うことが最優先となり、

結果的に人との距離を置くことが最善、ということになってしまう。

 

自分の「考え過ぎ」というのは、考え過ぎることで生き延びてきたから。

最悪の結果を予想して、人の言葉や反応に怯えるのも、そうして生き延びてきたから。

 

言い訳と捉えられてしまうかもしれないし、理解も得られないかもしれない。

けれど、自分自身はそうして存在している。

 

そんな自分が面倒で厄介で鬱陶しいと、自分自身が思っている。

こんな思考も言動も止めてしまいたい。

 

が、止められない。

染みついたものを抜くのは無理。

努力が足りないと指摘されるかもしれない。

努力でどうにかなるなら、やり方や方法を教えてほしい。

 

こういう風に生きてきたから、多くを失わずに済んだが、それは、多くを得られなかったから。

どちらが良かったかはわからない。

 

ただ、知らぬ間に人と距離を置いていき、自然消滅の様な形はかなりあったと思う。

それを考えると、自覚せずに失ったものは多かったのかも。

 

最近、オンラインマルチプレイのゲームを人とやっているため、いろいろなことを考えることが多くなった。

 

その色々の結果が、こんな文章。

くだらないね。

楽な死を求めることは、この社会に救いを求めることと同じかも

今日は胃が痛い。

自分の想像力、空想力、妄想力、大体は自分に備わっていて、そのせいで苦しむことが多い。

 

相手の思考や言動の先読み、結果の先読みとか。

先読みっていうのは、予想のこと。

「こうなるだろうなぁ」とか、大体は失望を前提とした予想。

 

失望を前提にするのは、自分をある程度のショックから守るための術で、先に諦めておけば、実際に予想が的中しても軽いダメージで済むのではないかっていう。

 

始めに書いた、胃が痛い理由は、そういった失望を前提としながら、それでも結果に不安を覚えているから。

 

自分など始めから存在しなければよかった。

なんていきなり書くけど、いつもこの言葉が呪いとして自分にまとわりついている。

 

いつも母に、姉、兄と比べられ、自分は選択されない側。

選択される様に頑張っても、そんな存在になることができなくて。

 

だから自分の存在意義とか存在理由に拘るのだけど、そういったものも、第三者によって求められることで、初めて得られるものだと僕は考えている。

 

価値と類似している。

求められていれば価値はあるが、求められていないのなら価値はない。

ある人にとって価値があるものでも、ある人にとっては価値がないといったように。

存在もまた、同じようなものだと思う。

 

僕は境界性人格障害で、過去、アームカットをしてその画像をホームページに載せ、当時のネット友達の興味を引こうとしていた。

けれど、僕に付き合いきれなくなった彼らは、僕の下から去った。

それは、当然のことだと今ははっきり理解している。

 

けれど、理解するには遅かった。

誰かに求められたくてしたことで、結果、自分から人が離れていく。

そして、僕が出した結論は、自分からは積極的に何も求めない。

 

対人関係で受け身という様な感じ。

自分からは特に何も話しかけたりせず、相手からの連絡を待っている。

自分が求めて、相手に拒否されること、その先の嫌われて離れて行ってしまうことが嫌だから。

 

相手がメールやメッセージをくれたなら、それはとても安心ができる。

自分に用がある(少しでも求められている)から連絡をくれたのだ、と。

 

けれど、やはり自分からは何かを打ち明けることができない。

距離感もわからない。

接し方もわからない。

わかることといえば、自分には何もないということ。

 

自分なりに探しても見つからない。

自分の上位互換なら腐るほどいる。

それでは自分の価値は?存在する意義は?理由は?

 

などと考えていると、もう嫌になる。

毎回、こんなことを考えて、そういったことに目を向けない様にしてきた。

 

ただ、ある出来事で、現在の自分を改めて見ることになった。

そして、その結果がこんな文章という形。

 

死にたい。

前回は計画がどうのとか、場所とか考えたけど、飲めば死ねるものが近くにあるじゃんって。

なに大層なこと言ってんのという感じ。

 

死は苦しいものなのかもしれない。

苦しくない死を求めることは、救いを求めることと同じようなものかもしれない。

 

なーんて文章を書いていても、結局死ねずに年を越すんだろうか。

情けないね。

 

どうして産んだんだ。

っていうのが今、頭に浮かんだので書いてみた。

ずっと、自我の様なものが出てきて、周りを把握できるようになってきたころから思っていたこと。

 

特に締めの言葉もない。

終わります。

読んでくれてありがとうございます。

それでは。

ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ |/// || ///|

久しぶりにここへ文章を書く。

文章はツイッターや他の場面でも書くことはあったけど、大体が短文(自分にしては)で、改めてまとめて書くのは久しぶりだ。

 

まとめて書くとはいったものの、あまり考えなしに書き始めている。

ただ、一つ、主題というか根っことか、とにかく中心的な気持ちは、自殺について。

これは、他人の死ではなく、自分の死という意味。

 

死についての受け止め方は様々とはいえ、「生は善であり死は悪である」といった、なんとなくの社会通念の様なものがある。

一方で、僕は、「生と死は両立するものであり、その善悪については、時と場合、立場、主観、客観による」という長ったらしい考えでいる。

 

ここで指が止まった(筆が止まった的な)。

 

再開、とりあえず、生や死については、「人それぞれに概念を持ち合わせている」と自分は捉えていますということでした。

 

さて、人の生死については重く考えられるものの、自分の生死についてはどうだろう。

どうだろうとか書いてみたけど、様になっているだろうか。なんちゃって。

 

自分の生はとても苦しいもので、生きてはいたくない。

それではなぜ、自分が今も死なずに、この様に文章を打ち込んでいるのか。

もちろん、死ぬ際に想像する痛みや恐怖は最も大きな理由なのだけど、他にもある。

 

それは、生きてはいたくないが、今、「目の前にあるゲームが楽しいから生きていられる」といった、積極的に生きたい理由があること。

例えば、「期待の新作ゲームが来年に出るから」とかそんなので、積極的に「それをプレイするまでは生きてみようかなぁ」みたいな。

 

ゲームとか馬鹿か?と言われるかもしれないが、それを何か別の事柄に当てはめれば、なんとなく意味が通じるかなぁ?通じなくてもしかたない。

 

という感じで、今もただ生きながらえている。

 

とはいえ、さすがにいつまでもそんなことをしているわけにもいかない。

自分の意思が働いている間に多くのことを決め、決行する。

つまりは自殺のこと。

 

それはとても怖くて、実行して成功した人が現実にいたとしても怖くてたまらない。

だけど、その恐怖を相殺する方法を用意して、あとは場所と決行をするという具合で、なるべく具体的かつ確実性の高い計画を用意しなければ、と。

 

詳細は~なんて馬鹿なことを書く気はないが、そうしなければならないというのは、僕の運命で決まっていたことだと、今更ながらに思う。

 

あなたは自分の運命を信じますか?って新興宗教の勧誘みたいな触れ込み。

脱線した。

僕は、人は産まれてきた瞬間から、その運命は決まっていると考えている。

まるでアカシックレコードみたいな。わからない場合はググってね。

 

親ガチャなんて言葉も今更。

そんなことにも気づかなかったのかよっていう。

親が産む環境によって、その子供の運命も定められていく。

 

これはあくまで僕の考えていることなので、押し付ける気はないし、当然、論として穴がありまくりで極端な内容だと思う。

 

それでも、そう考えざるを得ない。

この様な思考が浮かんでくるのも、防衛機制の一種なのかな。

わからん。

 

また脱線したような気がする。

 

今、ここまでで、改行を入れたらなんと1285文字くらいだ。

読んでくれてありがとう。

 

話を戻す。

始めから定められた運命に抗うことなど不可能というか、その抗うという行為すらも定められている。とかいう定めのゲシュタルト崩壊

 

運命の話は以上。

 

2021年ももうすぐ終わり。

ちなみに、僕の人生はとっくに終わってます。

笑えないが、笑ってくれたら嬉しい。

 

全てを諦めて、それで刹那的に生きながらえて、それでテキトーだったりもして。

ただ、自殺はそうもいかない。

という決意表明でした。

 

「なにが決意表明だ、どうせできねーくせに!」

っていう声が聞こえてきそうだし、言わずともまぁそう思われていると想像している。

 

見返す気持ちもなく、淡々とね。

 

明日のFGOのイベント楽しみだなぁ!

はい、終わり。

そいジャ、マタ |/// |(Д´ )ノ"| ///|ウィーン

無意味な独り言

「自分の考えていることを投稿する」というのが、なんとなく大変で。

何かを書いた後、「これを投稿してどうなる」として投稿を止める。

 

自分の意見を晒したところで誰にも何にも伝わらないのなら、それは無いものと一緒。

どれだけSNSなどが普及したところで、一部の好意的なフォロワーさんにお気に入りボタンを押してもらえるだけのこと。

 

能動的に寝落ち枠でツイキャスもしてきた。

けれど、そんなものに需要なんてなく、ただ付き合ってもらっているだけ。

そう考えると、している意味がなくなった。

 

ここでこんな風に、壁へ落書きする様な形で書きなぐっていた方が良い。

どうせ誰も見てはくれない。

見たって価値がない。

 

「価値は相対的なもので~」という思考もずっと頭から離れないし、決まりきったことだろうから。

 

社会に不満を持っても、自分の境遇を憂いても、他人に嫉妬しても、どうにもならない。

口では「諦める」の一言でペシミズムの様なスタンスでいても、内側の自分はそれに染まりきれてはいないみたいで。

 

人に求められたい。

子供のころからずっと願ってきたこと。

だから、誰でもいいから自分を求めてくれないかと八方美人に振舞って、誰も残らなかった。

でも、こんな性質をもう変えることができない。

こんなことも諦めなくちゃいけないんだけど。諦めないといけない。

 

薄っぺらい友情であろうと、親密なパートナーであろうと、そういった関係性を築けているにもかかわらず、自分は劣っている、不細工だ、などと宣う人間がたくさんいる。

それらの関係性を築けていない自分の立場がない。

嫉妬心で怒りがこみ上げてくる、というのが本音。

かれらは主観で自虐しているが、客観的に見れば、あなたは自分などと比べれば「よりマシ」じゃないかと。

 

こんなことも、タイミングによっては空中リプライになりかねないし、きっと思い当たる節がある人に届くだろうから投稿をしない。

そうすると、ツイッターをやる意味がない。

ツイッターでも、優劣を感じるし、疎外感も感じる。

居場所がない。

 

伝わってほしいことは伝わらずに、伝わってほしくないことは伝わってしまう。

だらだらと書いた文章も終わり。

無題

「何か書こうか」っていう何かが特になくて、もしかするとあるかもしれないけど、特に思い浮かぶことがない。

 

という感じで書き始めたはいいものの、結局、ツイキャスと同じ様に、話題探しをリアルタイムで始めるという。

 

前回、何を書いていたっけと今見てみる。

 

なんとなく、今、思っていることと同じ様なことが書いてあった。

人に必要とされる人間になりたかったとか、そんな感じで。

 

望み、願いは叶わないから、現実を見て諦める。

 

自分の脳で絞り出した言葉など既に誰かが代弁してくれているから、自分が書き出す必要もない。

 

程度の差はあったとしても、辛いのはみんな一緒。

そんな中で自分は頑張ることを止めた。

頑張り続けている人達の中にいると、居心地が悪く、自分の居場所ではないと感じる。

 

頑張っている人を非難しているのではなく、自分の選択が招いた感情だからこれも仕方ない。

 

自分に都合のいいことなんて起こらない。

起こらないことを追いかけるより、諦めてじっとしているほうが現実的。

起承転結も何も考えてないから、文章はこれでおしまい。

それじゃ。