甘党
病院へ行き、専門医に診断を受け、病名や障害を診断されたら、それが免罪符となって自分で罪と感じられていたものが軽くなることはある。
「どうして自分はこの様な考え方や言動をしてしまうのか?」という罪悪感のようなものを、病気や障害のせいにしてしまえるから。
誤解してほしくないのは、病気や障害のせいにすることが悪いと言っているのではない。むしろ、本当にそうなのだから病気や障害のせいにしてしまって構わない。
実際、病気や障害を抱えているにもかかわらず、通院せずにそのまま見過ごされると、他人からは健常者と同じ扱いや言動を求められるだろう。
そして、ただの甘えだと見なされて、努力が足りないだのやる気がないだの集中力がないだのと非難される。
そういう意味で、専門家に病名を付けられることや障害を認められることで、病人、障害者として見られることが、多少なりとも扱いや求められるものが軽くなることがあると思う。
もちろん、それすら「甘えだ」と宣う輩もいるけれど、そんな奴らは無視。
何かのせいにすると、いつも「自分が悪いのに、お前は他人のせいにしてばかり」という説教を受けることがある。
一から説明するには労力がもったいないし、そもそもそういう輩は人の話を聞かないから、説明するだけ無駄だしそんな義理もない。
だから同じく無視で。
「甘え」という、どこまでも自己責任を求めてくる言葉が大嫌いだ。
甘えている他人が許せない人は、自分が厳しい生活を強いられていて、他人の生活が自分より楽そうに見えると羨ましくなり、それが嫉妬心に変わって怒りや憎しみ、嫉妬心となっていくのだろう。
他人と比較することをやめられないのはわかる。
だけど、他人と自分を比較して、他人を攻撃するのは僕は共感できない。
常套句だけど、人それぞれだから。
「楽に生きているように見える」まで、どれだけの出来事や周囲に振り回されて心身ともにボロボロになったことなど、知らないのだろう。
感情も滅茶苦茶になった末に、やっと今のこれを保つことができていることを想像できるだろうか。
と、こんなことを書いても、「ああ、また甘えていることの言い訳か」という反応をする輩がいるから、本当に嫌になる。
分かり合えない人間とはかかわりたくない。
分かり合おうとする人とだけ接していたい。
自分を傷つけようとする人間とわざわざ能動的に接触する必要はない。そんな経験などなんの糧にもならない。
自分の「甘え」をそうではないと認識してくれる人とだけ、分かり合えたらそれでいい。