くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

タイトル

どんな言葉も何となく的外れで、もっと踏み込めば傷をつけていたりして、それならいっそ口を閉じていた方がいいのではないかと。

 

人と比べることの無意味さは十分に分かってはいるが、それを実践することができず。
脳内は重要と思われるものはほとんど入っていなくて、あるのは使い古された馴染み深い思考。
そこから導き出される結論にいつも惑わされ、思考停止もままならず、苦しみが重なるばかり。

 

「自分など必要ない」
なんて言葉にすれば、ありがたいことにそれを否定してくれる人達がいる。
にもかかわらずこの考え方は強固で、いつでもどこかで自分の存在はこの世には必要ないのだと思ってる。
子供の頃にかけられた暗示は脳内に深く突き刺さり、どれだけの人がそれを抜こうと努力してくれても抜くことができない。
自分自身がその暗示を握りしめて離さないでいるからだと思う。

 

「もう手遅れだ」
これもいつも思うこと。
変わりたいと願ってもやはり変われずにいて、「ああ僕はもうこんな人間として完成してしまったんだ」と諦める。
根気強くなくて諦めが早い。向上心もない。僕には何もない。

 

「自分を否定することは、自分を肯定してくれている人を否定していることになるんだよ」
ってことも言われてきた。わかっている。
ごめんなさい、すみません、申し訳ありません。
そんなことを思いながら、いつも自分を否定している。

 

自分の気持ちなんて既に諸々のバンドが歌ってくれているから書くまでもないだろう。
みんな同じようなことを歌っているのだから、歳を重ねるにつれて増えていく葛藤というものも、大体はみんな同じように持っているんだろう。

 

僕がわからないことを歌っている人達が多いというのは、僕自身が人並みに経験を積んでこなかった証拠なんだろう。
そんな現実を目の当たりにしたくないから、僕は聴くバンドを絞りに絞って限られた曲しか聴かない。

 

自分の世界は狭い。
そんな奴が「視野を広くも持とう」なんてどの口が言ってんだっていつも思う。

 

「未だ来ずと書くから未来」って、学校の先生が言っていた。
「だから俺は未来という言葉が嫌いなんだ」とも。
「待っていても未だに来ない。そんな表現が嫌いだ」って。

『将来なら「将に来たらんとする」だからいいけどな』ってことも言ってた。

時間は不可逆で進んで行くから、誰が何を言っても言わなくてもしてもしなくても勝手に流れていく。
だから何にしても言葉遊び。

 

先に描けるものに明るさや希望、期待、幸福みたいなものを見出せずにずっといて、だから僕は未来だろうが将来だろうがそんな好きではなくて。
これも長年、自分の脳内を支配してきたものだから簡単に変えることができずにいる。
頑張って明るい何かを見ようとしても上手くいかなくて、結局、見慣れた何もない真っ暗な方を見ていたりする。

 

こんな奴、死んでしまった方が絶対に良い。
誰かに言われなくてもそう思ってる。

 

昔、どこかで見た文章を思い出した。
「相手を幸せにするために自分の想いを犠牲にする」
「告白してくれて、愛情を示してくれても、自分が相手と付き合っては相手が幸せにならないだろうから、自分がどれだけ相手のことを想っていても相手のことは受け入れない」と。

 

僕はこのような人の様に強くないから、人の気持ちや愛情を求めたり受け止めてしまったりする。
それが正解なのかはわからない。
もし間違いだとしたら?そんな資格がなかったとしたら?そんな不安がいつもある。
身の丈に合った幸せで自重しておかなければいけないのでは?と。

 

この世の中、生産性がない人間は何の価値もないと見做される。
個人の状態も都合も環境もお構いなしに、一括りにして「この人間は私たちの世の中には不要だ」って。
「働けないなら死んでくれ」「私たちが苦しんで生産したお金を勝手に使って生活するな」「自己責任」

 

心を強く持てている時はそんな言葉を真に受けはしないんだけど、心が弱っているとそういった言葉を真に受けて死にたくなる。
実際に死んでやろうかとも思う。
「どうせできないくせに」って。
してやろうか。

 

「社会に文句を言う前に、自分を何とかしろ」
これも常套句。
どうにもできないからこんな風になってる。
弱音を吐けばもっと強い言葉を浴びせられる。

 

色々考えて、ああやっぱ死ぬしかないのかって。
未だ定まらない時も、身の丈に合わない幸せも、全部手放さなきゃいけないのかって。
それが社会から僕に望まれていることなのかって。

 

僕が死んでも連絡が取れなくなるだけできっとそのまま風化していくのみ。
こんな文章もネット上での存在も時間と共に薄れて消えていく。
始めから存在していないのと一緒。

 

何を書きたいのかも伝えたいのかもわからないまま、今はただ辛くて文章を書いている。
きっと誰かがこれを見てくれるんだろう。
時間がかかっただろう。
何の落ちもなくて残念だったかもしれない。
なんてどうでもいいか。
文章打つ元気はあるんだから大丈夫だろう。
やっぱどうでもいいか。