くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

(No Title)

「皆は1人のために」という言葉がある。
元は、「1人は皆のために、皆は1人のために」だったかな?

今日、僕はそれを実感した。
僕等、精神的に問題を抱えた人達は毎週、木曜日にミーティング(仮)と称して個室に集まり、何かについて話をしている。
散々書いてきている通り、僕は女性が怖いから「自暴自棄な自分」になってそこでは居る。
そうすれば、僕はおどけたり、ふざけたりすることができるから。


で、今日、そのミーティングに来なかった方がいた。
僕は以前からずっと彼女が疎外感を感じているような、そんな様子がありありと見て取れたために、救ってあげたいと思った。
けれど恐怖している対象に言葉すらかけられないという僕は、彼女を見過ごしてしまった。

これもまたくどいようだけど、恋愛感情やそういった類のものじゃないし、それを期待しているなら別の所へ行けばいいよ。

僕は、精神的に弱い人達の集まりの中ですら「独りぼっち」を作ってしまったことに、とても罪悪感を感じているんだ。
傷の舐め合いと言われようが、僕は「この場」が好きだから。
いつも、うなずくことが多くて、また、新たな思考が入り込んでくることもある。

そんな自身ばかりが充足している中、僕は彼女の存在を黙殺した。
何度も声をかける機会があったし、話を聞く場面もあった。
それでも僕は、僕自身の充足感を満たすことを優先してしまった。
もちろん、女性恐怖というのもあるんだけど。


そんな中で、今日、ミーティング後にそのことについてちょっとした話題になった。
どうにか「独りぼっち」の状況を打破できないものか、と。
僕は前述の通り、救いたい気持ちがあったものの、何の案も出せずに、またその話すらできなかった。

担当者の方が何気にその「独りぼっちの参加者」の話題になったら、気になっていたのは僕だけではなかった。
自分も、自分もという具合に、皆、その人のことを気にしていた。
やはり、精神的な病やそれらに触れている人というのは、感受性が高いのかそういった状況変化に敏感みたいだ。

そこで、色々と考えが出された。
ミーティングそれ自体に参加してもらうことは自由。
その他にできることはないか、と。
具体的に書けば、その参加者の方が得意としている何かで、僕達ができることはないのか?と。

僕は、今まで黙殺してきた自分の罪を償う意味でも、どうにかこの話を成功させたいと思った。

けれど、それは押し付けになってはいけない。あくまでも当該人物の意思が最優先される。
僕等がどれだけ意気込んだとしても、当事者であるその方が拒んでしまえばそれで終わりそうな気がして。

もちろん、別の方面からのアプローチもいいかもしれない。
例えばだけど、僕のような男が話し掛けるより、女性が話し掛ける方が安心するかもしれない。
だから、次のミーティングに来たときは、女性の方々にお願いをして意識的に話をしてもらう、とか。


これじゃ、その人中心の集まりじゃないか、という批判もあるだろうけど、僕はそう思わない。
僕等は仲間。もちろん、出会ったばかりの素性もよくわかっていない同士。けれど、僕は仲間だと思っているから。
もちつもたれつ。
相互に助け合いながら、苦しみを分かち合いながら、進んでいけたら良いなと思っている。
だから、厚かましいだろうが救いたいんだよ。
僕の罪悪感がそう言わせている事実もあるけどね。


もちろん、その方以外の参加者の方で何か辛いことがあったなら、その人を、次は皆で支えられるような風にもしていけたら良いなとも思っている。
思いやりの押し売りにならない程度にね。
それが難しい所だけど。
そこは、僕だけじゃないから、きっと押し売りにならないよう、適度な力の入れ具合で接することができるのではないかな。
僕は人を思いやることに欠けた人間だから。


今日もラベル貼り。
暑かった。
息苦しい感覚もあった。
僕は、素性を知らないと先程書いたけど、本当に皆さんのことを知らない。
それでいて、女性の参加者の方の比率が高く、また、ラベル貼りの参加も同様。

そのため、作業中も緊張しっぱなしだった。
どれだけ自暴自棄な自分を演じていても、どこかでその顔が落ちてしまう。
そうして不安になり、どうしようどうしよう、と。
それでも、僕は自暴自棄な自分の顔をもう一度つけて、対処をしたんだけど。

その中で感じた状態が、暑いことだった。
会議室くらいはある部屋で、空調もよく、温度管理はしっかりできる部屋なんだけど、暑かった。


僕は改めて気づかされた。
女性恐怖。
笑われるだろうけど、本当に怖い。
襲われるとかそういう恐怖じゃなくて、自分が何と言うか洗浄されなければならない存在だ、と思われているようで。
これは被害妄想なんだろうけど、そう考える。

また、沈黙も辛い。
本来なら自分が何か話題でも出すべきなのかもしれないけれど、女性が話題として合うものなど僕は知らない。
それが余計に「喋らなきゃいけない」という強迫観念に襲われるのかもしれない。


その方達が嫌いと言うわけではない。
今日、独りぼっちの参加者の件で、自分も気になっていたと一様におっしゃっていた。
また、その改善案として様々な案を出してくれたり、むしろ僕はその方達に好感を持った。
「どうでもいいよ、そんなこと」なんて思っていないことに、僕は安心もした。


その上で、やはり怖いものは怖くて。
人間不信を改めて実感する。
けれど、それでも僕は、僕自身の都合を度外視してでも、独りぼっちの参加者を救いたいと思う。
救うなんて上から目線だろうけど、そこから目線を落としていけばいい。
その方にとって何が必要なのか、そういったことを知ることが、具体的な目線の合わせ方なのかもしれないな。
って、さっきも書いたっけ。


生態学に起因する『生物の配偶行動』についての記事。

なるほど、と思った。
以前の我が国では、地縁や女性の人権を無視した方法で、顔も知らない相手との結婚があり、それによって婚姻率の高さを維持すると共に、種の保存や社会への人材の供給もされていった。
けれど、現在はそうではなくなった。

女性の人権が重要視されるようになり、地縁といったものも風化しつつある。
『自由恋愛』が享受されているといった中で出された結論は、

『モテないやつは最期までモテないということ』

だそうで。

確かに、そうなのかもしれない。
選ばれるもの、選ばれないものが出てきたのはきっと事実なのだろうね。

また、選ぶ側にも期限が設定されているようで、それが婚活といった焦りに繋がっているのだろうな、とも思った。
言葉を借りれば「選ぶ側」も滅ぶリスクがあるということ。

それは、恋愛に限ったことではなくて、ご近所さん関係等、他の人間関係にも言えることなのかもしれないな。
「人とまともに話もできないようなゴミクズは、最後までゴミクズ」であるということ。
そんな人間は早く死ぬべきであるということ。
僕のことだね。

この中身の無い自分を求められるのなら、僕はいらないのだろう。
この中身の無い自分を見透かしてくれる、助けてくれる人が欲しいんだ。
ミーティングも、カウンセリングと同じなんだよ。
その場、その時だけが楽しいというか、充足感を得られたりする。

けれど、終わってしまえばまた孤独が待っていて、何か空しくなる。
ま、いつものことだけどね。


今日、先日の面接の結果がきて、またお祈りされたよ。
僕は何をしてもダメだな。
誰の力にもなれないし、何も得られない。
まさに、淘汰されるべき存在なのだろうね。


また初めからやり直しか。
ゼミの先生に会いたくないな。
「腫れ物」だから、僕にはやんわり嫌味なことを言うのだろうけど。

明日ゼミなんだけどねw

生きていて、楽しくない。
それはとても贅沢なことなのかもしれないけれど、僕にとっての生は苦痛。
当然に、苦痛があるからこその楽しみがあることは承知しているつもりだけど、苦痛の期間が長すぎて。
次の楽しみを待っていられるほど、僕は体力が無い。

あ、ラベル貼りは楽しいよ。
けれど、それもすぐに消え去るもの。
恒常的に、そして定期的に持続的に感じられる楽しみ、救いか、それが欲しい。
それが、以前の電話であり、依存だった。

そんな僕ではダメだから、淘汰されるのか。
なるほど。


今日も長くなった。
今日の成果は240本。
先月分のお手当ては、据え置きゲーム機の新品ゲームソフトが一本買うことができるくらいもらえた。
今月はもっともっと頑張れば、PS3買えるくらいもらえるかなw
僕にとっては付加価値に過ぎないんだけどね。

そいじゃ、また。