くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

(No Title)

ブログを見て回るだけでも本当に、いろーんな人がいると感じる。

何故かはわからないけど、自分のブログには詩を書いている方が訪問してくださることが多い。
うん、自分の記事にはなんら詩らしきものはないということはわかってるさw

そのせいなのかどうなのかわからないけれど、自分は他人の詩を読むことが好きになったようだ。
元々好きだったのかな?わからないけど、何故か足を運んでいる自分がいるから好きなのだろう。


あとは、自分の生活をそのまま書き出しているブログ、かな。

そこも、やはり上記と同じように、その人が今日何をしていたのだろう、何を考えていたのだろうなんてことを期待しながら足を運んでいる自分がいるから、自分は他人か他人の思考・行動が好きなのだろうな。
人間不信のくせに。
人間不信だからこそ、人を知りたいっていうのがあるのかもしれないな。


って、何で今日はこんなことを書いたんだろうな。

サディスティックな自分を「僕」という風に表し、このブログの書き主として最近はしているけれど、その時は大体イライラしていることが多い。
攻撃的であったり、抑制が利いていない状態。それを自覚しつつも止められないから「僕」という別の自分物を偽る形で語らせているという感じ。


自制の利いている今は、「自分」が語っている。
この自分というのがよくわからない。
そもそも、何か別人にでもなったかのようなフリをして書き物をするということ自体が、おかしいのかもしれないけど。


最近は、ピエロの顔と表現することが多いけど、違うな。
ピエロは楽しませるという価値があるからこそ存在意義がある。
自分は、何の顔をしているんだ?
少し考える。


うん。
自暴自棄な人間。
これだ。
顔で笑って、心でも自嘲して。
世間を嘲笑して。
皮肉屋を気取って。
人前で平気な顔ができる人。

先日の面接のときもそうだったな。
何も怖いものはなかった。

前の記事でも書いた、女性恐怖というものも、この自暴自棄な自分からすればどうでもいいように思える。
自分などいつ死んでもいいんだから、恥ずかしがる必要は無い。
って感じ。

中身は空っぽ。
自分が1番よくわかっていることなんだ。
なんというか、箱があって、プレゼント用に綺麗に包装してある。
けれど、中にはなーんにも入っていないようなそんな感じ。

そんな感じ、って例ばっかりだな。

本当に中身がないなー。
中身がない。
人を信じられない。
そのことが、いつまでも頭から離れない。

例えば、この世の中に自分の存在を大切に思ってくれるなんて言う夢のような状態になったときでも、自分はそのことを疑うだろう。
他人の気持ちなどわかるはずがない。
人の内心に関わる事象については、表現がなされない限り、やはり知る術はかなり低いだろう。

自分は性悪説支持者なのかな。
人は始めから信じるに値しない存在である、と。
だから、全ての言葉は偽りである、と。
なんかね、そんな考えだと人とまともに接することができないじゃないか。

あ、いっけねー
だから人とまともに触れ合えなかったんだったwwwwwwwwwwwwww

とかふざけてたりするんですよ。
今の自分の仮面は。
それを外されるのが怖いから、どうにか必死に動き回っているんですけどね。

見透かされることが怖いな。
心当たりがあるから、怖い。
何書いてんだろうねぇ。

自暴自棄でどうでもいい人間の戯言でした。

皆さまは有意義な「明日」を。

あ、今日は300本ね。

そいじゃ、また。