くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

金とレールと価値とか何か

お金で思い出も買えるって知った。
お金さえあれば何でも作り出せる。
相手だって買える。
そう信じ込ませる心も買える。
僕の真っ黒な人生にお金で買った輝く数日が残った。

希望も絶望も既に結構どうでもよくて。
そういうもんって自分で選べるものじゃないから。
産まれたときから決まってるものだなぁと。

人が歩む道をレールと表現することがあるのだけど、まさに産まれたときからスタート地点とゴール地点は既に決まっているっていう。
道を踏み外す・レールから外れるっていうことも言われるけれど、
別に外れているわけじゃなくただそのレールにそのまま乗っているだけって話。

別に達観してるわけじゃないし、無い脳内で考えたことを書き出しているだけだから持論であり極論でもあって誰にでも当てはまる絶対的なものだ、と主張するつもりもないけど。

そう、レール。始まりと終わりが決まっているレール。
失敗も失望も絶望も何もかも決まっている。
それに折り合いをつけて生きているフリをしているだけ。
どんな不満も怒りも悲しみも全部決まっていたこと。
死という結論もきっと決まっていること。
産まれたときから何もかも決まっている。

神も仏も運命とかも大して知らんけど、不可抗力。

こうして自分を守る文章を打ち込んでどうにか命をつなぐ。
別に誰にも望まれていない命なんだけど。
なんて書けば、そんなことないですよって優しい言葉をかけてくれる方達がいる。
でも、実際はそんなことないでしょ。
僕が死んで、涙を流しますか?心の底から悲しみますか?一生の傷になるようなことになりますか?
なりませんよね。そんなもんです。

一時的、だよね大体は。
僕はふうたが亡くなったとき、涙を流して心の底から悲しんで一生の傷になってしまった。
ふうたを失ってそんな気持ちになったからこそ、自分なんぞそんな存在じゃないってことを誰よりも自身が知っている。

もちろん、そういった言葉はありがたくて自分にはもったいないと思う。
それでもやっぱり自分には相応しくない。
どんな人が相応しいかは知らんけど、少なくとも自分にはあまりにももったいない言葉。

どんな優しい言葉も僕には相応しくない。
僕に似合っているのは罵詈雑言、誹謗中傷とかそんなもん。
でも、実際にそれを言われるとへこむし傷つくし死にたくなるから聞きたくはないな。