来る者、去る者、来訪、拒む者、孤立
来るもの拒まず、去る者追わず。
去った後、再び来た者は受け入れず。
ネット上だけでも多くの場面でつながりがある。
そういった一つ一つのつながりを断っていけば、ネットに依存している僕は孤立してしまう。
それでも、人にしがみつくほどの勇気も力も魅力もない。
自分自身、消去癖があるから人との関係を断ってきた。
だからその気持ちはわかる。
けれど、全ての関係性を断ったことはなかった。
何かしらのつながりや痕跡を残すというずるいやり方で、これまでやってきた。
そのおかげで人とのつながりが今も保てているところがある。
現在、様々なSNSで相互フォローなどの制度が採用されている。
そんな中で、知らぬ間にフォローを外されていたり、けれど相手のアカウントが残っていたりすると、ああ相手にとって僕は既に必要のない人間なんだなと判断する。
また、たとえ一つでも痕跡を残していたとしても、それを上回る数で関係性を切られてしまっていたら、同じように自分を否定されたような気分になるから、同じように何もかもを諦める。
以前にあった、ツイッターでフォローしてもらった後に、一度、フォローを外されて、再びフォローしてもらった方がいる。
その真意は不明だし、問うこともできない。
結構、絡んでいたということもあり、余計に距離感や自分の間違いなどがわからなくて。
ただ、なんとなく今も距離感を感じている。
一度、拒まれた相手をもう一度受け入れるということはとても難しい。
僕はもう孤立の道を歩むしかないのかもしれない。
いつも、こんなことを言いながら諦めきれずに誰かにすがろうとする。
けれど、僕も今年の6月7日でまた一つ歳を取った。
このようにして、僕は当然に誰にも相手にされない古ぼけて良いところが何もない人間として、息をしていくことになるんだろう。
こんな人間として生きていくことに意味などないが、僕にとっての楽しみは既にゲームしかないから、それを楽しみに刹那的に生きていくしかない。
直近の気になるゲームはラスアス2、ゴーストオブツシマ。
それに、モンハンの7月アップデート。
これらを糧に生きていくと思う。
別にそれらをプレイせずに死んでも後悔はないけど、とりあえず一番近しい楽しみとして持っておく。
世間ではいろいろと何かが動いているけれど、正直、もうどうでもいい。
気になる話題があっても、何かを言うほどでもないし別の誰かが代わりに言っているだろうと考えると、何かを書く必要もないなと言う感じで。
はてなブログという自分の公開ノートにただ書きなぐるだけ。