くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

境界例

境界例とは、旧来の境界例概念に基づく、人格障害における広義の疾患概念であり、主にB群人格障害反社会性人格障害境界性人格障害自己愛性人格障害演技性人格障害)の病理を持った患者を指す。

wikiより引用。

つまり、境界例というのは、上記の種々の人格障害を包含したものであって、その包含したものを持った人物のこと。
wikiでも書いてあるように、境界性人格障害だけじゃないってこと。
自分がまさにこれ。
自戒するべき。
2人の友達を失ったあのときだってそうだった。
お前はいつも気づかない。
お前の生身が他人にとって害を与えることを、日々忘れてはならない。

お前は一体何なんだ?
何の病気でそんだけ薬を飲んでいるんだ?
薬を飲んでいる割には、あの当時と何ら変化が見られないじゃないか。
幼稚だった?今だって幼稚じゃないか。

マイペースで行くことに変わりはない。
昨日から書いているような内容に関しても、方向性は変わらぬように考えていた。
けれども、やはりそれは修正しなければならない事柄のようだ。

自分はいつだって依存する人間を探していたんだ。
自分の至らなさをここに記すことで、餌を撒き、それに食いついてきた人を崇め、依存する。
それが本当の自分で、とても狡猾で汚い人間だ。

このような自分は境界例である。
否定する人がいるかもしれないが、自分はそうだ。
「僕」だの「俺」だのが混在した「自分」など存在せず、境界例だからこそ、自分が混在していたと思っていただけ。
本当の自分とは、ただ境界例を持った人間であるということ。
それだけ。
「僕」も「俺」も無い。
それは、境界例をある意味で誤魔化す為の、自らの説明だっただけ。
それだって計算で書いていたように思う。


自分は、刹那主義者になってしまっている。
過去はもう戻らない。将来も破滅的。
今、できることをなんて言ってみても、それじゃお前は何ができるんだ?
一通り、できることはできるんだろうが、それ以上の段階に進めずに、ただ立ち尽くしているだけじゃないか。
確かに、逃げてはいない。
逃げてはいないが、立ち向かってもいない。
ただぼーっと立ち尽くしているか、そこで惰眠を貪っているか、それだけだ。


こういった、「自分を責める文章」というのも、自らの反省を表明してツミを免れようとするといった「計算」の基に書いている。
そう、どこまでも卑怯な人間ということがわかると思う。
自分自身で自らを責めておけば、他人からの責めも軽いものになる。
そして、「責めようも無くなる」場合がある。
「既にあらゆることについて反省しています。また、至らぬ点がありましたらご指摘ください」と言った具合に。

人はほとんど優しい人が多いがために、自分のような人間を放置している。
中には、関わると面倒であるとか、危なそうだとか、そういった経験則に基づいた対処をする人もいるだろう。
けれども、ほとんどの場合、「触れないことの優しさ」で放置をしている。

まぁ、このような人間をどうにかしようと試みる義務を持っている人間など存在するはずがないけれど。
それに、触れてしまったが最後、前述の通りの依存行為などが起こる。
そうして被害者が生まれてしまうんだ。

自分はそれを出さないためにも、壁や顔を作らなければならなかった。
そしてそれに成功した。
この4年間、孤独というものに支配されることで切り抜けられた。

しかし、特定者へ依存し、崇拝するというものは、決して消え去ったわけではなかった。
そうしてまた自分で被害者を生み出した。

それに、この文章によって「もっと被害者を追い詰め、傷つけ、苦しめる可能性があることを知った上で」、自らの苦しみを和らげるために、自己保身のために書き連ねる。
利己的、あくまでも自己中心的。

それが境界例たる自分だ。
「触らぬ神に祟りなし」の言葉の如く。
恐ろしいだろう?自分はこんな人間だ。


さて、そんな自分の生活面に話を移す。
今日は父が帰ってきた。
特に話すことも無いが、父は酔うと雄弁になるため、自分は聞き手に回る。
母は母で、仕事が決まったことが嬉しいらしく、また、父が間にいることもあって、普段は話さない研修のことなどを明るく話してくる。
自分にとってはどちらも退屈でつまらない話ばかり。

まるで大学の同級生達のようだ。
中身も無く、ただその場の自らの欲求をぶつけてくるだけの言葉の羅列。
そんな話にそれとなく対応するのはもう慣れているけれど。

自分は、彼らと話をすることが無いから、もう話をしない。
過去やそれに附随した事実を忘失したと言い張る彼らに、何も言うことはないだろう。
妥協点なんて初めから無い。
始めから同じ土俵に立つ気はない。
彼らはそういったスタンスなんだ。

それでいて、あくまでも自分に対しては、一方的な話をぶつけてくる。
自分の知ったことじゃない。
それでも相手をしてやらなければならないという現実。
くだらないな。
そして、情けなくもある。


いつも彼らといて思うことは、生まれてこなければ良かったということだ。
生命を軽んじる気はないけれど、子供は親を選べない。
全ての元凶が彼らである以上、恨むべき対象でもある。
だからこそ、生まれてこなければ良かったと思うんだ。
子供が親を恨む、殺意まで抱くなんていうのはあまりに酷い。

だけど実際に自分は親を恨み、殺意を抱いている。
もちろん、理性が殺意をコントロールしているからこそ、今の関係性があるわけだけど。
そんな関係性、実にくだらない。

明日も生きる気でいる自分が思うことは、生まれてこなければ良かったということ。
そんなことを思いながら、またぼーっと生活を送る。
非生産的な生活。
これもまたくだらない。

無駄に脳だけを動かし、その結果をここに打ち込む。
いい身分だな全く。

ここまで読んでくれてありがとうございました。
って書くの、おかしいよなって思う。
読む義務も無いのに、勝手にここまで読んできたのだから、お礼を言う必要は無い、と。
うーん、おつかれさまとか?
労いの言葉もおかしいな。別に頼んだわけじゃない。

とか、そんなことを考えながら、終わりの文章を探したけれど、見つからなかったので、終わり。