くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

25

僕は人が羨ましくて妬ましくて。
そういった人達への嫉妬で、思考が押しつぶされるというかなんというか。

普通にできること、例えば「漫画その他本を読む」「好きな対象への興味」「種々のDVD鑑賞」「映画鑑賞」「ゲームをやる」といったことが自分には上手くできなくて、できる人達が羨ましく妬ましく、そんな自分が情けなくなった。
一気に自暴自棄の有様。
自分の情けなさ、足りなさを埋める、誤魔化すための作業でしかない。
そんなことくらい知ってるんだ。
でも、そんなことを繰り返してるんだから、僕自身、馬鹿の極み。


自分自身に自由があるのはこのインターネット上での書き込みくらいなもんで、その他は制限されての生活の様なもの。
その中で、同僚の人が言った言葉でまた落ち込んで。
「働いたお金での楽しみが無いのに働いているなんて、一体何の為に働いているのか理解できないな」

僕は何の為に働いているのだろう?

僕は僕自身の為に働いていくはずだったのに、何故、家庭を支えなきゃならないんだ?
借りるって、返す当てもないものを借りるとは言わないだろ。


僕はもう25歳。
先も見えなくて、現状も意味不明で、中身は入る隙間が無い位にネガティヴな感情が埋め尽くしている。


泥沼の中で立ち尽くして、諦めて、汚れた手をぶらーんと放り出していたら、掴んでくれる人がいて。
正直、なんて馬鹿なことをしているんだろうって思うんだ。
だって、こんな馬鹿が諦めて泥沼に入り込んで、ただ放り出していた汚れた手を、わざわざ泥沼に入ってきて掴むなんて。


泥沼に入れば自分だって汚れる。掴んだその手も汚れる。
何考えてんだ。止めておいた方が良い。
って、僕は怖いからそう言う。
掴んでくれた手を離されることが怖い。


小さい頃からずっとずっと手を掴んで欲しくて、どれだけ手を伸ばしてもそれは届かなくて、それどころか「そんな手要らない」って振り払われちゃって。

見捨てないでほしい。
見ていてほしい。
でもきっと見捨てられる。
だから、見捨てられないような状況を先に作り出しておく。
そんなことをした。


小さい頃の自分には誰も、眼中に無かったんだ。
よって、見捨てるとか見捨てないとかの話ではなかった。
それでも僕は、見てもらいたくて、手を掴んで欲しくてずっと興味を引くように頑張って、機嫌を取って、努力してきた。
けど、眼中に無ければ初めから無いものと一緒。

見てほしい自分なんて存在しなかった。
それ故、伸ばした手なんて無かった。
だから、諦めた。


それじゃ、どうして見捨てられ恐怖というのが僕の中に存在するのか。
それは、母が僕を脅すために何度も何度も使ってきた手段による。

僕は、母に好かれたくて何でもやった。
炊事洗濯、家の掃除、機嫌を取るための噓。
そうすれば母は何も言わない。
けれど、機嫌を損ねると「お前は要らない」と脅してくる。

そう言われた僕は「母さんが僕を置いて、何処かへいなくなってしまう」と怖くなって、もっと機嫌を取らなければという強迫観念にかられてしまう。

今はもう、血の繋がった他人と思考では切り離しているけれど、現実では足を引っ張られているのは変わりがない。


そんなこんなで、僕は見捨てられ恐怖がある。
これが人間関係の何もかもの出発点。
見捨てられるのが怖いから、機嫌を取る言動を行う。
そうして八方美人を演じていたら、現実では誰とも仲良くなることも無く、友達なんて一人もいない。


僕は手を掴んでもらうことが怖くて、初めから手を隠して相手をしていた。
薬で泥沼から這い上がって、自分に付着した泥を固めて壁を作り身を守って。

けれど、そんなことをしていたら、当然、人となんて仲良くなれるはずもない。
僕の望みだって叶わない。
だから諦めた。


諦めて、泥沼に戻って、立ち尽くして、隠した手も伸ばすことなく放り出して。

そうしていたら、泥沼に入ってきて、手を掴んでくれて、僕はびっくりして。嬉しくて。
だけど怖くて。
見捨てられ恐怖が再燃して。
きっとこの手も離されるんだ、って。
その時、きっと僕はわからなくなるから、そんなことになるくらいなら見捨てられるようにしようって考えて。
そうして僕はまた手をぶらーんと放り出した。


離される前に僕から離れるんだとか思って。
それでもまた、僕の手を掴みに来てくれて。
何考えてんだ、って。
馬鹿じゃないか、って。
傷ついちゃうじゃないか、って。
汚れちゃうじゃないか、って。
総じて、こんなヤツ相手にしてる場合か、って。


本当は嬉しくて、ただ嬉しくて。
でも怖くて、いつも怖い。
僕はこんな人間だから、これ以下になることはあっても、これ以上にはなれないから。
伸びしろが無い人間、いつまで見てもらえるのだろうか?

見捨てられ恐怖からくる被害妄想。
被害妄想に拍車がかかって、また怖くなって、いてもたってもいられなくなり、関係性を断ってしまおうと。

だから、手を放り出した。
それでも掴んでくれた。
何考えてんだ。
ダメだ。
泥沼に引きずり込まれるぞ。

半分は本音で、半分は違う。
もう半分は、見捨てられたくないから。
見捨てられる自分を考えたくないから。

相手のことを考えているというのは本当。
一方で、自分のことを考えているというのも本当。

その割合は多分、後者の方が大きいと思う。


産まれてきたことを祝福されることが、素直に嬉しい。
過去は塗り潰せないし、消すこともできない。
一方で、こんな風に今を祝福してもらえるなら、僕は素直に喜ぶ。
過去なんて関係ないし、過去の人間の言動なんて関係ない。
今、祝福してくれる人の言葉があれば、僕はそれで良い。それが良い。



信頼しているのに、怖い。
僕が怖がっているのは、その人ではなく「状況」なのかもしれない。
信頼はしている、けど不安になる。
信頼が揺らぐのは、人間として当たり前なのかもしれないけど、それでも信頼したいという強固な願望みたいなのがあって。

僕は、怖くなったり不安になる自分が、相手を信頼していない人間なのだと思うため、自己嫌悪に陥る。
何で相手を信頼できないんだ、とか。どうして不安になるんだ、とか。

同時に襲ってくる見捨てられ恐怖の思考。

相手を信頼していないのではないか?という自己嫌悪と、見捨てられ恐怖の被害妄想が生み出す混乱。
そんな状態が僕。


そうして、断絶しようって。
もう腕も切ってしまおうって。
また元に戻ろうって。
初期化するんだって。

でも、だけど、うん。
珍しい人もいる。
再度、注意喚起する。

精神障害者
人格障害者。
社会不適合者。
薬漬け人間。
人間不審。
見捨てられ恐怖。
種々の強迫観念。
そこから広がる被害妄想。
被害妄想から出す拙速な結論。

こんな人間で大丈夫か?

大丈夫じゃない。問題だ。

僕は大丈夫じゃない人間。
将来も無い人間。
何にも無い人間。

こんな人間。

こんな25歳。