くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

人生はサンドイッチであり、自己分析は発掘調査だ!

自己分析について。
やり方は、過去を掘り起こすこと。
小学校、中学校、高校、現在に至るまでの自分を掘り起こします。

人生を、地層みたいに見てるのかなぁと思いました。
ジュラ紀白亜紀、とか。
いや、地層とか詳しくないですし、順番も意味もなにもわかんないですが(;・∀・)

もしそうなら、自分は、小学校の高学年までの層は厚く、次の層はと考えたら、無い。
そして、現在は、また厚い層ができてきているのかなと思います。
厚くというのは、社会に触れているという点で。

ハムサンドみたいですね。
パンとハムとパン。
でも、実際はハムサンドではないです。
中身はひきこもりということから無く、パンとパンをあわせただけ。

自分は、カツサンドがいいなぁって思いました。
思春期がカツだったならって。
部活を頑張ったり、バイトしたり、友達と馬鹿やったり、もしかして恋愛したり、そういうものであったならよかったと。
こんなもの理想で、そうじゃなくても、普通に中学校、高校に行けたのならよかったのに。
そうすれば、何かしらの中身を挟めたのになぁ。

なんて、今、自分は小学校から今までをサンドイッチにたとえましたが、こんなのは馬鹿らしいんでしょうね。
人生を80年としたって、自分はまだパンの部分にいて、挟む中身はこれからであり、次のパンで閉じるときは、おじいちゃんになってから。
そこまで生きられたら、ですが。

サンドイッチの話にそれました。
層の話に戻ります。

心身の傷も、次の層が出来上がったとき、見えなくなるだけなんじゃないのかなぁって思います。
だから、いつまでも痛くて苦しい。
新しいものに重ねられたら、傷は見えなくなって、誰も気づかなくなっちゃって、それで気づいて欲しい。
自分はそんな欲求から、こんな風にネット上に書いているのが本音であると思います。
自分のことなのに、言い切らないのはアレですが。

どれだけ新しい層(現在、将来)が出来上がったとしても、深い部分(過去)は変わることが無い。
ドリルとか、重機で掘り起こして、どうにかして治せたらいいですよね。
掘り起こして、奴に会えたのなら○してやる
何言ってんだって感じですね。

あ、自己分析ってなんだろうって考えるのではなくて、自己分析をしなければいけなかった(ノ∀`)

長々と読んでくれて、ありがとうです。
おつかれさまでした。

関係ないですが、さまぁ~ずさまぁ~ずという番組で、さまぁ~ずが、ハムサンドについて話していました。
最近のは、「パン、ハム、タマゴ、パンで、それが気に入らない。オレらのハムサンドは、パン・ハム・きゅうり・カラシ・パンだ」と、言っていたような気がします。(きゅうりは言っていなかったかな?カラシはバターだったっけ?)
で、そのさまぁ~ずが言うハムサンド、どこかで最近食べたんですよね。今でもあるにはあるようです。