無意味な独り言
「自分の考えていることを投稿する」というのが、なんとなく大変で。
何かを書いた後、「これを投稿してどうなる」として投稿を止める。
自分の意見を晒したところで誰にも何にも伝わらないのなら、それは無いものと一緒。
どれだけSNSなどが普及したところで、一部の好意的なフォロワーさんにお気に入りボタンを押してもらえるだけのこと。
能動的に寝落ち枠でツイキャスもしてきた。
けれど、そんなものに需要なんてなく、ただ付き合ってもらっているだけ。
そう考えると、している意味がなくなった。
ここでこんな風に、壁へ落書きする様な形で書きなぐっていた方が良い。
どうせ誰も見てはくれない。
見たって価値がない。
「価値は相対的なもので~」という思考もずっと頭から離れないし、決まりきったことだろうから。
社会に不満を持っても、自分の境遇を憂いても、他人に嫉妬しても、どうにもならない。
口では「諦める」の一言でペシミズムの様なスタンスでいても、内側の自分はそれに染まりきれてはいないみたいで。
人に求められたい。
子供のころからずっと願ってきたこと。
だから、誰でもいいから自分を求めてくれないかと八方美人に振舞って、誰も残らなかった。
でも、こんな性質をもう変えることができない。
こんなことも諦めなくちゃいけないんだけど。諦めないといけない。
薄っぺらい友情であろうと、親密なパートナーであろうと、そういった関係性を築けているにもかかわらず、自分は劣っている、不細工だ、などと宣う人間がたくさんいる。
それらの関係性を築けていない自分の立場がない。
嫉妬心で怒りがこみ上げてくる、というのが本音。
かれらは主観で自虐しているが、客観的に見れば、あなたは自分などと比べれば「よりマシ」じゃないかと。
こんなことも、タイミングによっては空中リプライになりかねないし、きっと思い当たる節がある人に届くだろうから投稿をしない。
そうすると、ツイッターをやる意味がない。
ツイッターでも、優劣を感じるし、疎外感も感じる。
居場所がない。
伝わってほしいことは伝わらずに、伝わってほしくないことは伝わってしまう。
だらだらと書いた文章も終わり。