自分不要論
自分の代わりは世の中に沢山いて、自分がいなくて困る人はいないし、滞る出来事もない。
にもかかわらず、ただ生きていてこんな風に誰が見ているともしれない場所で文章を書いている。
自分が不要であるということを否定してもらいたいがために必死になって、ない頭で文章を打ち込んで。
隣の芝生は青いと言われるけれど、ネット上で接する人達は誰かしらに求められていたり、居場所があったり(仕事場、作業所など嫌な場所であってもとりあえず)。
何かしらの役割をこなしているからこそ、必要な人になっているのかもしれない。
当たり前のことしか書けない。
便所の落書きと大してそう変わりはない。
なんとなくそれらしいことを書いているようだけど、結局、中身もない。
どこかで聞きかじった言葉を拾って文章に再構築してこんな感じ。
文才なんてあるはずもなく、伝えたいことも誰かが代わりに伝えてくれている。
そうなるとやっぱり自分は必要がない、と。
そんなことを文章として残す。
無力感も虚無感も全部何もかもそういう根っこから湧き出てくるものなんだろう。