くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

誹謗中傷と忘却、根付いた病

「誹謗中傷はいけない」という批判で相手の言葉など封殺できるはずもない。
一人の死で長年変わらなかった思考を変えることなど不可能だから。
 
誹謗中傷が起こるたびに死を引用される、自殺者本人がいつまでも浮かばれない。
何をもって浮かばれるかどうかというのはわからんけど。
しかしながら、誹謗中傷が原因の死を簡単に忘れられてしまっても困るから、難しい。
 
それでも、人は感情移入したり、自分がその人の立場になったときのことを考えたりすると、嫌でも怒りや憎悪といった感情が出てくる。
そこで匿名で吐き出せるツールとしてのSNS、特にツイッターは便利なんだろう。
 
以前であれば、2ちゃんねる(現5ちゃんねる)の芸能人専用スレのようなところを荒らしまわるといったことで発散できていたのかもしれないが、もっと手軽で直接相手に届きやすい場所を確保できたから、わざわざそこに行く必要がなくなった。
 
昨晩、インターネットの歴史みたいなことをキャスで独り言の様に話していたのだけど、誹謗中傷や人間の悪意でホームページを潰されるなんていうのは以前からあった。
2002~2003年ころの話だけど、自分が好きで利用していたホームページが荒らしのせいで潰された。きっと、管理人さんも精神的にまいってしまったのだろう。
 
このように、昔のネット利用者はネチケットを守っていたといった言葉は、正しいわけではない。
利用者の悪意がそこにあったとき、今も昔も変わらず人は同じことを繰り返す。
 
今は一人に一台、スマホというネットとつながることができる機械が手元にあり、アカウントも複数持つことができる時代。
そう考えると、落書きを書ける「便所」が簡単で身近に確保できるようになった。
 
最近になってやっと、ネット上での特定の個人への誹謗中傷に対して、誹謗中傷した側へ被害の補償を求める訴訟が起こされる動きが出てきた。
 
最近は書き込みログが残っているだろうから、どれだけ手動でツイートを消そうが、コメントを消そうが、開示請求をされて問題のツイートやコメントを特定し、証拠として突きつければ勝つ見込みがあるのかもしれない。
仮に勝つことができなかったとしても、相手がどのような人間なのかを知ることができるだけでもまだマシだろう。
 
どうしてこのようなことを書き始めたかというと、起きてすぐにあるトレンドをクリックしたら、「誹謗中傷で人が亡くなったことを、もうみんな忘れている」という文章にひっかかったから。
 
さすがに最近あった出来事なのだから忘れてはいないだろう。
ただ、感情的になって簡単に吐き出せる場所に言葉を吐き出しているだけ。
そこに誹謗中傷の善し悪しなど考える余地もなく。
 
人間は、学び成長する生き物だという前提でいる人が多いように見受けられるが、人間など早々に変わることができる存在ではないと個人的には考えている。
 
虐待、いじめ、自殺といった問題がいつまでも繰り返し行われていることを考えれば、そんなことは明らかだろう。
今までにどれだけの子供が虐待死したことを覚えているだろうか?
今までにどれだけの人がいじめを苦に自殺したことを覚えているだろうか?
そもそも見ず知らずの他人の自殺など、どれほどの人間が気に留めているのだろうか?
 
多くの死はまた忘れ去られて、教訓として活かされることはなく、同じことが繰り返される。
誹謗中傷や虐待、いじめ、自殺など他人を追い込む術に長けている日本社会は、国民全体が不治の病に侵されているのだろうな、などと。
そんな自分も病に侵された一人。