くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

やさしさとは

昔の「やさしさ」は、その人の傷に触れて、向けられるものだった。
現代の「やさしさ」は、その人の傷に触れないようにして、向けられるものだ。
って、『やさしさの精神病理』っていう本の著者が言っていた。

その人の傷に触れるということは勇気がいることで、間違えば傷口を大きくするかもしれない。
たとえば、助言や慰めの言葉を言ったとして、それが的確であるかはわからない。
それに、言葉には責任もついてくる。言ったからには、言った本人に責任が向けられる。
でも、的確であれば、勇気付けられたり、とても効果のあるものだとは思う。

その人の傷に触れないということは、見守るやさしさとも言えると思う。
傷を広げるリスクを犯すくらいなら、始めから傷に触れないほうがいい。
それに、助言や慰めの言葉の責任を負いたくはない。触れなければ責任を負うこともない。
ただ、見守るだけであるために、自分の無力感に襲われたりするのかな。
そこのところはなんとも。

傷に触れるか否かにかかわらず、痛みなんて本人にしかわからない。
それでも、誰だって、大切な人の痛みを和らげてあげたい気持ちはあると思う。

ただ、本の登場人物まんまだけど、難しいのが、弱音を吐いたり泣いたりすることで、「あいつ、慰めてもらいたいんだろ?」って周りに思われると思っている人(変な言い回しだけど)。

こういう人になると、周りはどうしても、見守るやさしさにならざるを得ないような気がする。
悪い言い方をすれば、傷に触れられることが嫌な人。

昔も今も、人は変わらないんだろうか。
それなら何故、やさしさは変化したんだろう?
やっぱり、人は変わったのか?やさしさに変化はなかった?

って、とあるブログ記事を見て、本の内容を思い出していた。
いや、まんま本のコピペだな・・・すみません。

関係ないけど、アドバイスの責任を取りたくないから、自分は当り障りのないことしか言わない。
自分の言葉で誰かが損したとして、その責任を負いたくない。
ただ、大切な人が苦しんでいるとき、自分はこんな感じでいられるだろうか?
うーん、傷に触れて欲しいとか、触れて欲しくないとか、その人にもよるだろうけど。
って、また妄想( ´・ω・)

戯言、失礼しますた。