くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

雨男はペ天使の話を聞かない

明日は通院日。


よく、雨男、雨女なんて言う人がいるけど、自分は信じていなかった。
けれど、最近になって自分は雨男なのではないか、と思うようになった。

突然、何を言い出すんだこの気違いはw と思う人もいるだろうけど、そう思う。

自宅から出た瞬間に雨が降ってきたり、横手駅に到着したら雨が止んだり。
秋田駅構内から出た瞬間に雨が降ってきたり、その逆に入った途端、雨が止んだり。
学校から出た瞬間に雨が降ってきたり、学校に入ったときに雨が止んだり。

それに、連日の晴れだったのが、自分が外出する日に限って、ピンポイントのようにいつも雨が降る。

こういったことが続くと、自身が冗談と信じていなかったことも、決して間違ってはいないように思えてくる。

心の状態を表す際に、「外は晴れているけど、自分の中には雨が降っている」と言うことがある。
せめて、外くらいは晴れて欲しいと切に願う。

太陽光は、それ自体だけで人にかなりの元気を与えると思う。
猛暑といった弊害?は確かに迷惑だけど、太陽の暖かさがなければ、人は生きていけない。
それでも、太陽光を避ける自分は矛盾してるよな。
元気を与えてくれると思っているのに、それを避けるなんて。

明日も雨が降るって。
ここ数日、今日も凄く暑かったのにね。


前置きが長すぎた。
明日は通院日。
病院でカウンセラーに自殺のことを聞いてみる。
よくある受け答えを想像していても、今の自分にはそれすら神の声のように聞こえる。
「声が聞こえたら 神の声さ」って歌ってたけど、そういう意味だったのかな?
そもそも、どこぞの神だ?
救いの神様はどこにいるのやら。

こんな状態で、宗教に勧誘されそのまま信者になった人というのもいるのだろう。
その中では孤独はないから。
ある団体に所属しているという安心感が生まれるから。
もし、同じような境遇から入った人がいたのであれば、傷をなめあうこともできる。
多分、日本では、新興宗教を除く、例えばキリスト教のような宗教はそういう存在なんだろう。

聖書を理解する必要もなければ、イエスへの信仰心に満ち溢れているわけでもない。
教会という場や、そこにいる神父、シスター?といった人達に慰められ、上記のように仲間と傷をなめあうことが救いとなっているのかもしれない。

それでも自分は、宗教にすがることができない。
胡散臭いから。
現実に起こる全ての事象が神によるものだとするならば、どれだけの人間を苦しめているんだ?
それらを「神が与えた試練」などとほざいている人間は、どれだけポジティブなんだろうなと思う。
多分、何らかの宗教に属する人達が生きていけるのは、そのポジティブな部分にあるのかもしれない。

ある意味でのポジティブに変える洗脳。
都合よく神を利用し、信者をポジティブに変えていく。
そうすれば、人は死なない。人が死ななければ信者は増え続ける。
信者が増え続ければ宗教団体としての勢力が増していき、影響力も高まる。
そうして今。

預言者の弟子である「ペ天使」達が、そうして世界へ宗教を広めていった。

上記のような胡散臭い宗教など誰が信じるものか。
唯一神等とほざく宗教など相手にしない。

自分は一体何を書いているんだ?


自分が救いを求めるのは、専ら薬と医療従事者に対してだ。
多分、これが現実的だと思う。
判断能力が低下していたとしても、それだけはわかる。

政治や宗教に関する話題は、その人の価値観や生き方を左右する問題である為、とても神経質な問題だ。
でも、自分のスタンスはこういうことだ。

そうして今、頭が混乱している。
自分でも笑えるくらいにゴチャゴチャしてる。
通院のことを書こうとしていたのに、何を書いていたんだろうな。

このままじゃいけない。
わかってる。
でも、どう改善しろっていうんだ?
できることをして、結果が出なくて、だけど諦めずにできることをして、けれど結果がでなくて。
それでもなお改善しろと言われても、自分だけじゃもうわからない。

頼るべき人もない。
気持ちの置き場はここしかない。
笑えばいいし、馬鹿にもすればいい。
惨めだ。

明日、何かを聞きに行く。
もし、短時間で診察を終えるようであれば。

おじさんが教えてくれた。

自殺は迷惑だと言った人がいたが違う。
早朝に首を吊り、それ以降は一見、平穏な日常だ。
遺体は葬儀社かどこかで保管され、すぐに火葬、墓に入れられるんだろう。
葬式はあるのかもしれないし無いのかもしれない。
少なくとも自宅ではやらない。そのため当然、花輪も無い。

残されたのは、近所の気違いが憧れたことくらいだ。
遺族のことは知らない。
興味も無い。

明日、楽になるといいな。
生きる術が見つかるといいな。
生きたいから。
生きたくてたまらない。
また楽しい気持ちでゲームをしたい。

モンハンP3も今の自分には足りない。
あのときの嬉しさより、今の気持ちの方が強すぎて。
また無駄な時間だったって笑って書き込めるように、そんな気持ちになりたい。
生きたい。
まだ生きたい。
死にたくない。
助けてください。
本当に辛いんです。
と、明日言ってくる。

それでも答えが得られなければ。
そういう不安で今は一杯だ。
診察もまた短く終わるとしたら。
もう苦しい。
でも、余裕はある。
大丈夫。
苦しいけど、大丈夫。

それでは。

追記

今さらだけど

この記事を、自殺を渇望している人が見たとき、間に受けて自殺を実行したらどうなるんだろうな。
これを見たのも運命なのかと、実行する人もいるだろうし、その逆も然り。
ちなみに自分は何も感じなかった。
今しかない、って言葉しか目に入らなくて。
激安セールを思い浮かべて、ああ大声張り上げて頑張っているスーパーの人も大変だろうなって。

追記その2
みかんせい♪(癒される詩)

そう、人は未完成でいいんだ。未完成だからこそ、人は生きていける。
けれど、それは「完成することができる人」のことを前提としているに過ぎない。
自分のような欠陥者は、一生「完成することのない人間」だ。

簡単に言えば、プラモデル。
前者は、一つ一つを組み立てて、途中手を休めながらも完成に向け組み立てていく。
後者は、元々、パーツが足りない。そしてそのパーツは2度と手に入ることが無い。そのため完成へ近づけることもない。


ん、俺はクレーマーだな。
あまのじゃくで、素直じゃない。
言葉を額面どおりに受け止められず、いつも何かしらの理由をつけて跳ね返す。
だから、自分は誰とも交われないわけだ。