優しさの副産物
言葉は難しいけれども、それを選んで吐き出すというのはそれもまた違う気がするんだ。
選んで吐き出すって、変だよな。
選ばずに吐き出して、後で誤解を招いた部分を訂正する。
それでいいのかなぁ、とか考えたりした。
もちろん、訂正の義務なんて無い。
そのままでもかまわない。
別に吐き出している分には、誰かに何かの責任を負っているわけでもないのだから。
皆、優しいな。
自分を責めるということは、優しい証拠。
自分のことを考えているようで、実は、自分が傷つけてしまったかもしれない人のことを考えていること、だと思うから。
自分を責めるなっていうのは無理。
相手に申し訳ないという気持ちがあるとき、きっと人は自分を責めるんだ。
他に言葉を伝えることもできないから、残る自分を責めるしかない。
だから、皆、優しい。
その優しさを偽善とか言う人間もいるだろう。
確かに、偽善で優しさをふりまいている人間はいるかもしれないが、僕がネット上で知り合った人達は皆、偽善で優しさをふりまいていないと思っている。
だから、僕は皆が優しいと思う。
で、その優しさがぶつかりあったとき、誤解が生じて何故か傷がつく自体が発生することもある。
難しいね。
でも、誤解は解ける。
極端に性格がねじ曲がっているとか、ひねくれているとかがない限り、弁明や謝罪で仲直り。
人はそこまで厳しくない。
これは人からの受け売りというか、人間不信の僕がよく言われる言葉か(ノ∀`)
皆は優しい。
僕はまぁ頭が悪い癖にずる賢く、計算高く、優しさをふりまくような人間ですのでそこは覚えておいてください。
僕以外、そう皆は優しいんだ。
皆が優しい。
気を遣いあって、疲れちゃうくらいにね。
それをおかしなことだと僕は思えないな。
優しさの副作用。
けれどこれもまた、誤解と同様にどうにかなるもんだ、とも思っている。
あと、自分が優しいということを忘れてしまっている人。
何故忘れるのか?それは、日常的に優しい言動を行っているから。
優しさが当たり前になってしまって、忘れちゃっている。
忘れちゃいけない。
優しいのは特別に凄いことなのだから。
と、思いながら、本当に眠る。
おやしみー