生存本能と安楽死
力士20人による救出劇というのを目にしたとき、また死にたい人の邪魔をしたのかと思ったが、飛び降りたが死ねないと悟り、本人が助けを呼んだとのことだった。
死にたいのに簡単に死ねない。
苦しみと恐怖の中で生を選ばざるを得なかったというのは理解できる。
誰だって苦しんで死にたくはないだろう。
飛び降りて一瞬の痛みで逝くのと、溺れてもがきながら苦しんで逝くとなったら、その苦しさと恐怖から逃れたいと思うのが人間の本能だろう。
確実に死ぬならもっともっと高い場所から飛び降りるしかない。
水面に叩きつけられて死ぬくらいの高さでなければ。
亡くなったであろうフォロワーさんは、どこかの橋から飛び降りてそのまま更新が途絶えた。
死ぬ方法はたくさんある。
けれど、確実に死ぬ方法はそれほどない。
もっと言えば、苦しまずに死ぬ方法は極々少数だろう。
誰だって楽に逝きたいはずなのに、苦しんで死ねと言わんばかりに安楽死に反対する。
そろそろ命についての考え方をアップデートしてみてはどうだろうか。
国が企業が社会が蔑ろにする命を、尊いもの、大切なもの、貴重なものだと説かれても、なんの実感もわかない。
命を蔑ろにされている人達が、せめて自分の命を楽に終わらせる制度を整えて欲しい。
なんていう要望すら相手にされない。
意味がない。
ずっと言い続けても、誰にも通じない。
こんな風に書いてみてもそう。