くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

(No Title)

今日は、企業研究セミナー(合同企業説明会)だった。

それが始まる前に、ゼミの先生につかまった。
何をしていたのか、これからどうするのか、どうしたいのか、何をしているのか、何をしていきたいのか。
先日のメールの答えを聞きたかったらしい。

自分は頭が回らなかった。
とにかく、先生の機嫌を損ねないようにどうにか取り繕って、その後、3社説明を受けてきた。
けれども、やはり4年への返答は厳しいもので。

少し休憩しようと開場を出たとき、先生に見つかり、声をかけられそのまま教授室へ。
互いにイスに座り面談形式のような。
先生は穏やかな口調ながらも、厳しい内容を聞いてきた。

Q.「何もしていないように見えるけど?」

A.「はい、何もしていませんでした」

Q.「○○(他ゼミ生)は先月だけで数十社受けているよ」

A.「・・・」

Q.「私は、くろくんが精神的に問題があるということを知っていた為、腫れ物に触れるような気持ちでいた」

A.「・・・」

Q.「(求人票を渡され)県内だけでも、まだこれだけの求人があるけど、どうする?」

A.「あの、えっと」

A.「受けられる所は全部、受けてみようと思います」


上記は一部。
先生に、自分が通院をしていることは、以前、どこかで伝えていたようだった。
そんな記憶すらなくしていた。


最後の言葉は、できもしない嘘。
その場から逃げたかったための嘘。

「誰だってしていることだよ」
「君だけじゃない、誰だって苦しいんだよ」
「受けなきゃ、可能性も無いよ」

そんなことはわかってる。
自分だけが苦しいだとか、辛いだとかそんな風には思っていない。
動かなければ、結果が出ないことだって。
そんな反論もできなかった。


主治医は「内定が全てじゃない。体調を崩したらそれこそ意味がない。けれど、動くことは大切」と言っていた。
指導教員は「くろくんの体調を考慮しつつ、内定を得るよう頑張って」と。

帰り、父が休みということで、車で迎えにきてもらっていた。
帰りの車内で、さりげなく「治療と内定」どちらが大事なのかなと、つぶやいた。

そうすると、「自分のことも自分で決められないのか」と。
正論だ。自分は、自身のことを自ら決めることができない。

そんなことを尻目に、ついてきていた母が、「今の会社は楽しい」とか、「やっぱり働いていることがいい」だとか。
鬱陶しかった。


自分は八方塞で。
誰にどう、何を伝えたら良いか、わからない。

皆、苦しい
辛いのは君だけじゃない
新卒はこれっきりだ
本人の努力次第だ
内定が全てじゃない
とにかく動くことが大事だ
自分で自分のことも決められないのか


誰が理解してくれるのだろう?
過去など言い訳に過ぎない。
過去を含めた自分など不必要なのだ。

今、形成されているこの自分が、かれらにとっての自分であって、形成過程などどうでもいいのだろう。
それは主治医にも言えることで、薬売りさんと割り切った。

息苦しい。
誰にも何も伝えられない。
こうやって、ネット上に垂れ流すだけ。

こりゃまいったね。
共依存らしき自分は、ただの抜け殻のようで。
笑ってしまう。

疲れた。
終わり。