くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

盲目的な信仰者。

さて、風邪をひいたものの、ひき始めが肝心ということで、薬を飲んで眠っていたら頭痛以外はマシになった。
最近の寒くなってきたとはいえ、ちょっといきなりすぎる。
今は頭がすっきりした状態で。
ただ、若干、節々に違和感があり、頭痛がしている程度。
と、思ったらおなかも痛い。

こういうとき、大体は「安静に」とか言うのだろうけど、日々安静に過ごしている自分にとっては、風邪をひいたことのほうが不思議でならない。
どうでもいいっちゃどうでもいいことだけど。


書くことがなくなったので、履歴訪問。

特に気になる記事はなく、皆、平穏な日々を送っているように見える。
もちろん、それはそれで良いことだと思っている。
そもそも、ブログというものに何もかもをさらけ出す人間などほとんどいないのだから、当然と言えば当然だけれども。


突然だけど、2度あることは3度あるとも言う。
だから、その3度を防ぐ為に心を閉ざすのだ。
壁を何重にも厚くして、自分の核を見えないようにする。
統合性失調質、境界例、が核だろうけど、そうすればまた待っているのは孤独。

孤独なんてそれすらもうどうでもいい。
なんて強がりながら、毎日を過ごしていく。
誰にも本音を言わず、ただ不貞腐れた気持ちで、何かを達観したようなそぶりで。
中身なんてからっぽなんだけど。

1番目、Kさん、Nさんだけがいればよかった。
他の人達は、正直に言えばどうでもよかったんだ。
2人の間柄に嫉妬したこともあった。
同じ扱いを受けていないように思えたから。
けれど、それは当然のことだった。
彼らは住んでいる場所が近く、会おうと思えば会えたはずだし、実際に遊びにも行っていた。
自分はそれに嫉妬していたんだ。
そうして、自分の核、境界例が牙をむいて、彼らは消えた。
「お前の罪を忘れるな」とでも言いたげに共同管理していたHPを残して。


2番目、今。自分の欠けて代替物のない部品、ピースをはめてくれた、その人がいればよかった。
他の人などどうでもよかった。
病院の先生の話などさらりと聞き流せたし、カウンセラーとは話すことがなくなるほどだった。
見識を広めねばならない。
自分は、ある1人を盲目的に信じる癖がある。
それは安心ができるから。
これは、逆転裁判2のトノサマン・丙のマネージャーと似たような感じ。
これが、ゲーム中でも言われる「ある種の依存」。

自分は自分を信じられない。
だから、盲信している人の言葉に安心し、それに依存する。
たった数週間だけど、自分はそうしてきた。

そのある種の依存に関して、自分は被害妄想を膨らませる。
当然に、相手にとって負担となるため、嫌われる可能性。
そうして、嫌われたがために盲信してきた相手が消えてしまう可能性。

そうなると自分の被害妄想は収まらず、相手の感情の決め付けや、それによって生じる効果や結論の決め付けをする。
簡単に言えば、相手は自分を嫌っている→そのため、もう話なんて聞いてもらえない→よって、相手は自分を見捨てるんだ。といった具合に。

これらは全て自分自身の脳内だけで行われた作業。
けれど、これが事実であるかのように自分を納得させる。
理由は、傷を浅くするため。

上記のことが、被害妄想などではなく実際のことであったとしたら、自分は酷く傷つくだろう。
その傷の痛みを少しでも緩和するために、被害妄想を駆使して結論を「先読み」する。
「先読み」が予防線となり、傷を受け止める。


主体性の無さ。
自分が核としている人格障害も、それは肉付けに過ぎない。
骨格としての主体性がまるでない。
そのために、人格の塊同士がぶつかり合って歪みを生み出し、それを受け止める骨格がないために思考が暴走する。

わけわからんね。
好むと好まざるとに関わらず、孤独でいなければならない人種(人格)というのはあるのかもしれない。
自分は孤独を嫌いながら、単独行動をしたがる。
周囲とあわせられないんだ。
一方で、たった1人には盲目的な信仰を向けるこの矛盾。

盲目的な信仰対象には、自分は素直な信者となることができる。
信仰対象者は自分の骨格を作り上げる作業を手伝ってくれて、それに安心し、ますます信じるようになる。
その中で、自分の目、視界には信仰対象者しか入らないようになる。
だから、他の存在など興味が無いという帰結。

自分はこんな危ない人間であるということを、あらかじめ知らせるべきであった。
確かに、「気違い」と記しておけば、イカレタ頭の持ち主であることは容易に想像できるだろうが、このような内面を持っていることについては、実際に説明をしなければ絶対に知りえない。

自分が知らせなかったがために、被害者を生んでしまったかもしれない。
そのため、改めて自分は自己紹介として、まとめようと思う。

このような人間でも、あなたは近づくことを怖れませんか?と言う風に。

自分の人との距離間はきっと、0か100かのどちらかなんだ。
相手を盲信するか、侵入を防ぐか。
この0か100かの人間関係、そして対象者がたった1人という、なんとも歪んでいるであろう思考。

それを許容できる人間などいるはずがない。
これが自分の答えだけど、反論は無いはずだ。
その理由としては、自分が上記の思考を変えられないから。

自分という人間は、このような人間です。

3度目は二度と来ないよう、サイコ・ロックをかけねばw
謝ることが卑怯だと、何度も自分に言い聞かせてきた。

ただ、素直に謝るところは謝ります。


私はこのような人間です。
あなたを欺いてごめんなさい。


以上。