くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

信じるべきは

自分だけしか信じられないという、そんな考えが信じられない。
自分を信じることについて。
自分を信じることができないのは、自分に自信がないから。
それでは、自分から自信を奪うものはなんだろう?

統合性失調質

wikiからの引用始め>

『この障害の特徴は身の回りへの興味・関心と自己表現力の欠如である。人との交流を避け、口数は少なく、抑揚も乏しく、よそよそしい。そして、人と深く関わることによって自分と相手が変化することを怖れる。相手にのみこまれ自分の独立性を失ってしまう恐怖におびえる。そこで、他人との関わりを避けるのだ。彼らの心には、よく知らない人と親密であるという不確かな(空想の)観念が存在することがある。彼らの反応には攻撃的な行動はめったにないため、ほとんどの脅威は、現実のものであれ想像のものであれ、空想上の全能感もしくはあきらめによって処理される。彼らはしばしば孤独に見える。しかし時に、このような人は独創的、創造的な観念を抱き、それを展開して世間に提示することがある。性格は、非社交的で静寂、控えめ、そして無頓着である。仕事では、コツコツと成果を上げ、評価されるが、自分が納得すればそれでよく、「嬉しい」という感情が起きない。少年期~青年期に「私はこれがやりたい」など、自分の意志を両親など周りの大人から否定(もしくは過干渉)され続けて育ち、自分の意志を表現しようとは思わなくなった(あきらめた)人に多くみられる。[1]』

<引用終わり>

太字にした所は、自分の特徴と、自分から自信を奪う要因と思われるもの。
多分、これを核として自分の人格があり、それに肉付けする形で境界例の種々の人格障害があると思う。

そうして歪んだ自分が今、ここにいる。


今回は特に「人と深く関わることによって自分と相手が変化することを怖れる」というものが根底にあった。
そして、被害妄想、感情の決め付け、結論の決め付け、全て自分が悪いという自己完結で済ませようとする思考パターン。

「身の回りへの興味・関心と自己表現力の欠如」は依存を言っているのかもしれない。


という風に、自分を見てみることはできても、結局何も変えられない。
こんなのに関わるとロクなことが無いんだ、ってまた壁を作る。
行動パターンも何も変わらない。変えられない。


人を侵食していく感覚があって、それが怖い。
陰の自分に陽が飲み込まれるような。

今、自分にできることは何?
これが新たな課題なのかもしれない。