くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

あさってしゅーかつあさってしゅーかつ

明後日、しゅーかつしてくる。
午前はカウンセリング。
午後には説明会を兼ねた一次選考(書類による)


これで、何もしていないから、1つだけやった、にすることができる。
簡単に言えば、合否を問わず、しゅーかつの事実を作り出すことができる。

一応、頑張りましたアピールの材料になるだろう。

いや、頑張ってるんだけど、結局は頑張りなんて見てなくて、そこに行ったかどうかという結果しか見ないんだ。

何もしていなくても、自分は頑張っている。
矛盾した言葉だと思うけど。
わかる人にはわかる、と書くのは卑怯か。

燃料なんてもうないのは、自覚してる。
精神がすり減って、ぼーっとする。
毎日なにやってんだろうって、そればっかり。

今、履歴書を書いているけど、肝心の死亡動機が、っていつもしぼうどうきを変換すると、これがでてくるw
志望動機が見つからなくて。
そこの業界、業態、職種、ほんの少ししか知らない。

「企業名を変えて、どこにでも通じる志望動機なら書き直せ」

そんなことを言われたけど、結局、書くことなんて表現を変えただけの同じことばかりじゃん。
でも、その表現が上手い人間が選考に通るんだよな。
で、面接ではコミュニケーション能力の高い人間が通る、と。
あ、地頭じゃかなわないから、そこでも自分はダメだった。

不登校になった瞬間に、自分の頭は終わってしまったのだな。
頭が悪く、中身の無い人間は必要ない。
利用価値としての、ね。

頭が悪くても、中身が無くても必要としてくれるなんて都合が良すぎる。
その都合の良すぎる願いをいつまでも持っているのだから、恥ずかしい限りだ。

もしくは、利用価値だけ評価してもらって内定をもらえるならそれでもいい。
別にそこに自分がある必要は無いから。

内定、そればっかりだ。
そればっかり追ってる。
目の前の結果ばかり求めて。
何のための自分の生き方なのか、さっぱりわからない。

大学生は遊んでばかり。
遊んでばかりいたからそんな状況なのだろうって、そう言う人もいるかもしれない。
確かに、中にはそういう人もいるだろう。
けれど、自分はこれでも頑張って来たつもりではある。
毎朝6時半に家を出て、8時に帰って来る生活を2年間続け、夏休みも学内の勉強会に出席し続けた。
空いている時間を公務員試験の勉強に費やし、結果、市役所の最終面接まで行くことができた。

頭のいい人にとっては大したことではないのかもしれないけど、中学生以下の、小学生レベルの知能の人間がそこまで行ったという努力は認めて欲しい。
自分で言うのはとても厚かましいことであるというのは、承知している。
でも、遊んでばかりいたと言われたら、それを全てと思われたくは無い。

自分には遊ぶ時間なんてなかった。
そもそも、友人がいなかったんだけど(ノ∀`)
それでも、同級生は幾度か誘ってくれたことはある。
今だってそうだ。
けれど、時間、距離の問題で遊ぶことすらできなかった。
現在はそれにお金の問題も追加されている。


何もかもお終いのような気がして、それでもまだ足掻いてる。
生かしてもらう権利は、学生と言う身分を終えた時点で消滅してしまう。
その代わり、自分には新たな義務が生じる。
散々言っているから、もういいだろうけど。

とにかく、心は折れてる。
折れた心で動けってか。
ま、それも1つの考え方なんだろう。
嫌だ。