くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

動かない人

また詩のブログの感想になってしまうけど。
今回は、別の詩のブログ。
淡々とした文章の中に、中身が凝縮されているような詩。

何と表現したらよいのかわからないけど、自分のこの日記が、大きな用紙に書かれた中身の無い長ったらしいだけの文章とすると、そのサイトの詩は、メモ用紙に書かれた短くも中身の充実したもの。

それを見ていたら、少し涙ぐんでしまった。
情景が浮かんでくるようで。
そんな創造力なんてあるとは思えないけど何故か。
いや、自分の場合は妄想力だなw


過去は動かない。
またその話か、と思われた方は閉じてくださいな。

昨日は自分が裁判所の中にいる気持ちで書いた。
そしてコメント欄より、その論証は裁判所内が前提であり、話が違う。
裁判所外で考えることが適切であると自分はそう解釈した。

しかしながら、やはり「外」でも帰結は変わらなかった。
どれだけ証拠を自分で説明し、それが第三者によって「立証された」と判断してもらった所で、結局は「ツミ」を追求することはできても、「バツ」を下すことができない。

それは、憲法が自力救済を否定しているから。
そのための答えとしては、昨日の日記に書いた「兄を9歳の時に殺しておけばよかった」というのが正しかったのだろう。
刑事未成年は罪に問われない。

ただそれも、自分の特性「人や物に当たることができない」というのが邪魔をして、結局は何もできなかった。

だからこうして、ネット上に過去をただ書き連ねているだけ。
いつも同じ内容を繰り返しているだけ。
本当に止まったまんまなんだ。


自分は、ひきこもりという状況から、通院を始めて再び歩き出した。
その足で通信制の高校へ行き、大学へ行き、就職活動も行ってきた。
表面上、歩き続けてきたように見える。
でも、そうじゃなかった。

自分の身体はいつまでも、通院を始めた頃のまま止まっていた。
簡単に表せば、自分はただその場に立っていて、景色だけが流れていった感じ。

現実、自分の悩みとしての過去の問題は、いつまでも解消されないまま。
通院を始めたのが16歳頃だったから、8年になるのか。
兄からの虐待、兄・親類からの脅迫、母親からの暴言、不登校、ひきこもり、それらを含めて16歳まで約7年間。

失ったものは、二度と戻らない。
7年間の空白を、8年で埋めようと努力してきたつもりだった。
でも、自分は何ら変わっていなかった。

そのまま、ありのままでいい。
そんな言葉を言われたら、嬉しくて涙が出てくる。
けれど、自分は知ってしまった。
自分の「そのまま、ありのまま」は、世間では異常であるということを。

立ち止まって、座り込んでかもしれない、自分はただ景色を眺めていただけだったのかもな。
その景色の中で、脳内で多くのことを考え、ただ考えた。
考えただけで、何も残っていない。
今あるのは、立ち止まっていたという現実感。

何も創造することなく、ただ止まった自分。
「次に止まった時は死ぬときだ」って言ってたな。
でも、始めから動いていなかったのか。
なんて、思った。

自分は過去を理由に、過去を重石としてそこから動かずにいたのか?

自分は多分、今だって何も動いていないんだ。