くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

自分を傷つけるということ

先日の探し物は刃物だった。
その刃物でアームカットをした。
こういったことを書くことは、境界例内の諸々の人格障害者が書くことであるという認識があるため、前の記事では直接的に書かなかった。

場所は半袖でも見えない場所。
二の腕のあたり。
使用した刃物はカミソリ。
押し込むように裂いた。
当然、血がすーっと流れ出る。
自分はその血を指ですくって、口の中へ。
そうして、自分は浄化されたような気になった。

という感じ。
そんなのはありえないのにね。

血は赤かった。
赤黒い血が流れ出るかと思っていたけど、真っ赤だった。
切る箇所によって違うのだろうか?

この傷は、誰かに見て欲しいがためにつけた傷だった。
自分の辛い内心を、外部に表明するための唯一の手段として。
でも、見てもらう人がいなかった。
もちろん、病院では言えば見てくれるのだろうけど、他の誰に見せるために切っているのだろう?何て思った。

今日も、4本、カミソリで線を入れた。
線を入れたという表現の方が適切かもしれない。
どうせそんな深く裂くことなどできるはずもない。
それに二の腕だし。

これは、「自分」の意思で行っている。
1日2本を目安に線を入れていこうかと考えていたけど、一度線を入れると、そこからまた続けたくなる不思議。

これが今、自分のできる最高の辛さの表し方。
自分の体験から、自分は物にも人にも当たるということができないみたいで。
壁を殴ったり、母親を殴ったりすることは、自分は考えられない。
怖くてできない。

自分が現実で唯一できることは、自分自身に当たること。
それがこの帰結。
よく、かまって欲しいから切るんだろう?っていうのを見かける。
それは、人それぞれ、環境の違いで正しいとは言えないと思う。

なぜなら、自分がこんな風にアームカットをしたという事実をここに打ち込んで、今、自分が望んでいることはかまって欲しいことではなくて、切らなければならないほど辛いという事実を認識して欲しいから、という欲求によるもの。
だから、特別に優しいコメントが欲しいだとか、心配して欲しいだとか、そういった感情は一切ない。
そんなものは必要ない。

昔、14~6歳の頃は、ネット上に打ち込む理由はただ1つ、かまって欲しいが全てだった。
とにかく優しいコメントが欲しい、心配して欲しい、自分のことだけを考えて欲しい、そんなことばかりだった。


今、アームカットに戻った理由は、自分の息苦しさを和らげるため。
少しの傷口でも、それを開くことによってそこから苦しみ、悪いモノが吐き出されていくような気がして。
非現実的な妄想を現実であるかの如く信じ込む。
今、自分はそんな感じ。

何でもいいから精神的な圧迫から逃れたい。
妄想からも逃れたい。
けど、それは無理で。
死ぬことができない自分の対処法。

睡眠も上手く取れない。
よくわからない状態で。
もう、別にいいんだけど。
いや、よくないんだった。

僕とか俺とか、そういった意識は今、ない。
自分自身がいる。
よくわからないけど、とにかく僕を取り込むような形なのかもしれない。
ある部分で、僕を許容してあげるような。
それが、今回のアームカット
俺が自制してきたもの。
自分は、もういいよなって。

こんな3者の関係なんて、わかるわけないよな。
てか、こんなこと書く自分、傍から見れば完全にイカれてんだろ。
ま、気違いだから。
生きている実感なんてそんなもののために切ってんじゃない。
楽になれる気がして。それ以外に方法が見つからなくて。
そんな行き詰まったヤツが行ったこと。
笑う人は大いに笑えばいい。
自分はわからない。