微笑みを打ち砕く術を
何故に彼女は笑うのか。
僕には友達がいない。
要らない子には友達がいないのは必然?
要らないと言った事も「忘れた」とされた僕は、どうしようもない。
彼女を殺したいと思った。
電話相手との口調、笑い声、そういったものを僕の脳内が包含したとき、改めて殺意が起こる。
彼女は母親ではなく、女性なんだ。
それは僕も理解していた。
家計を支える為の女性としては、その範囲内で許容していた。
だから僕は、朝食も夕食も自分で作っていたし、その後片付けもした。
また、自分の洗濯物は自分で洗濯をしたし、何も文句を言わなかった。
兄からの暴力があったにしても、僕はどうにか生活をしていた。
けれど、彼女は不倫という形で、僕を裏切った。
相手との生々しい手紙のやり取り、それを発見した瞬間、僕は頭が真っ白になった。
「Mちゃんと始めて結ばれたこと、忘れられないよ」
「Mちゃんは正常位より騎乗位が好きなんだね」
「Mちゃんのことを考えながら仕事をしているよ」
書き出して、反吐が出る。
あだ名で呼び合う仲だったんだって。
体位なんて言葉、そのときは知らなくて、今になってわかったこと。
気持ちが悪い。
改めて言う。
僕が母親の役割を放棄しつつも彼女を女性として許容していたのは、家計を支える仕事人間として。
不貞行為を行い、僕や父を裏切るようなことは一切許容するはずがない。
手紙を発見後、本人に確認することも、父に伝えられなかった僕の心情を、誰がわかってくれるだろう?
僕の人間不信の根っこはここにある。
人間恐怖とはまた別に。
僕は母のことを信頼していた。
母は冷たいことも多かったけど、デパートに連れて行ってくれたり、プラモデルを買ってくれたり、ゲームを買ってくれたり、自分の欲求を満たしてくれたから。
多分、自分の欲しい物をくれる=愛情の証だと認識していたのではないかと。
僕は手紙の内容にもそれを誰にも伝えられないことにも耐えられなくなって、手首を切り、腕を切り、薬を大量に飲み、病院のベッドで彼女に泣きながら叫んだはず。
「不倫していたことが」それ以外は覚えていない。
これも、記憶の吸い取りなのか?
僕は彼女の不貞行為を許さない。
それすら記憶にないと言われたら。
証拠がもうない。
僕は怖くて、手紙が隠されていた袋に、そのまま戻してしまったから。
その後はどこにあるのかわからない。
それに、その関係もまだ続いているかどうかすらわからない。
罪は償われるべき。
僕は罰したい。
彼女の心を孤独、絶望、憎しみで満たしたい。
本来的には殺したい。
けれど、それに反して彼女は友達とお食事会。
楽しくお友達と。
僕には友達がいないのに。
僕が友達を失った原因の人間は彼女なのに、何故、その彼女に友達がいるの?
理不尽だよ。
どうして彼女には有って、僕には無いの?
僕の友達を喪失させたのは兄。
それを黙殺、いや、彼女によれば知らなかったそうだけど。
そんな彼女が何故、楽しそうに友達と会話をし、食事会なんて行くの?
僕が行くなと言えば、彼女は行かないだろうね。
なぜなら、今、彼女が怖いのは僕だから。
僕がいつ自殺するかを一番恐れている。
いつも、腫れ物に触るように僕と接する。
僕は何も言わない。
だって、僕が行くななんて言ったら、ただ意地悪しているだけじゃん、って思うから。
僕は意地悪はしたくない。
それに大人気ない。
24歳にもなって、親の行動に一々文句や自制を促すなんて、馬鹿げてるし。
それでも僕は、彼女に嫉妬しているし、殺意を覚えている。
彼女には有って、僕には無いから。
僕をこんな風にした当事者の1人であるにもかかわらず、僕の目の前で楽しそうに、幸せそうにしているから。
だから殺してやりたくなる。
電話をしている最中にでも首を締め上げる。声も出せないほどに。
喉を貫くのもいいかもしれない。
そう妄想する僕は、正直な僕。
偽らない、本当の僕。
殺意だけでなく、実行まで妄想するのだから、非常に危ないね。
でも、罪は罰せられるべきなんだよ。
前も言ったけど、因果応報。
自ら行ったことへの報いは受けるべきなんだ。
その行為が罪なら、それは罰せられるべきなんだ。
現行の法律・刑法では、姦通罪は削除されてしまった。
これは、姦通罪は女性にのみ適用される男女不平等な法律であるため、憲法の保障する男女平等に反しているとされたことによる。
つまり、法律を根拠として罰することはできない。
そうであるならば、やはり自力救済しかないんだ。
罪には罰を。
以前も僕は書いたはず。
僕が書けば、何故か罪や罰といったキーワードが出てくるな。
僕はこのようにして、彼女の恥部、そして僕自身の恥部を打ち込んで気持ちを鎮めている。
誰かの目に晒されることで、彼女の人生に何の支障もないだろう。
けれど、僕がすっきりするから。
僕の気持ちを少しでもすっきりさせるために書き出すんだ。
世間に言うみっともないことを書く。
不謹慎と非難する人もいるのかな。
不謹慎っていうのは、結局のところ自身の道徳観念から導き出されるものだよね。
僕が不貞行為を悪としていることも、僕の道徳観念から導き出された帰結。
だから、不謹慎だなんて批難、的外れだよ。
なぜなら、それは批難する者の道徳観念から導き出された帰結だからね。
それでも僕はそんな批難にも傷つく。
スルーができない。
それでもこんな文章をアップロードすること自体、僕は止まらないということだ。
僕には友達がいない。
要らない子には友達がいないのは必然?
要らないと言った事も「忘れた」とされた僕は、どうしようもない。
彼女を殺したいと思った。
電話相手との口調、笑い声、そういったものを僕の脳内が包含したとき、改めて殺意が起こる。
彼女は母親ではなく、女性なんだ。
それは僕も理解していた。
家計を支える為の女性としては、その範囲内で許容していた。
だから僕は、朝食も夕食も自分で作っていたし、その後片付けもした。
また、自分の洗濯物は自分で洗濯をしたし、何も文句を言わなかった。
兄からの暴力があったにしても、僕はどうにか生活をしていた。
けれど、彼女は不倫という形で、僕を裏切った。
相手との生々しい手紙のやり取り、それを発見した瞬間、僕は頭が真っ白になった。
「Mちゃんと始めて結ばれたこと、忘れられないよ」
「Mちゃんは正常位より騎乗位が好きなんだね」
「Mちゃんのことを考えながら仕事をしているよ」
書き出して、反吐が出る。
あだ名で呼び合う仲だったんだって。
体位なんて言葉、そのときは知らなくて、今になってわかったこと。
気持ちが悪い。
改めて言う。
僕が母親の役割を放棄しつつも彼女を女性として許容していたのは、家計を支える仕事人間として。
不貞行為を行い、僕や父を裏切るようなことは一切許容するはずがない。
手紙を発見後、本人に確認することも、父に伝えられなかった僕の心情を、誰がわかってくれるだろう?
僕の人間不信の根っこはここにある。
人間恐怖とはまた別に。
僕は母のことを信頼していた。
母は冷たいことも多かったけど、デパートに連れて行ってくれたり、プラモデルを買ってくれたり、ゲームを買ってくれたり、自分の欲求を満たしてくれたから。
多分、自分の欲しい物をくれる=愛情の証だと認識していたのではないかと。
僕は手紙の内容にもそれを誰にも伝えられないことにも耐えられなくなって、手首を切り、腕を切り、薬を大量に飲み、病院のベッドで彼女に泣きながら叫んだはず。
「不倫していたことが」それ以外は覚えていない。
これも、記憶の吸い取りなのか?
僕は彼女の不貞行為を許さない。
それすら記憶にないと言われたら。
証拠がもうない。
僕は怖くて、手紙が隠されていた袋に、そのまま戻してしまったから。
その後はどこにあるのかわからない。
それに、その関係もまだ続いているかどうかすらわからない。
罪は償われるべき。
僕は罰したい。
彼女の心を孤独、絶望、憎しみで満たしたい。
本来的には殺したい。
けれど、それに反して彼女は友達とお食事会。
楽しくお友達と。
僕には友達がいないのに。
僕が友達を失った原因の人間は彼女なのに、何故、その彼女に友達がいるの?
理不尽だよ。
どうして彼女には有って、僕には無いの?
僕の友達を喪失させたのは兄。
それを黙殺、いや、彼女によれば知らなかったそうだけど。
そんな彼女が何故、楽しそうに友達と会話をし、食事会なんて行くの?
僕が行くなと言えば、彼女は行かないだろうね。
なぜなら、今、彼女が怖いのは僕だから。
僕がいつ自殺するかを一番恐れている。
いつも、腫れ物に触るように僕と接する。
僕は何も言わない。
だって、僕が行くななんて言ったら、ただ意地悪しているだけじゃん、って思うから。
僕は意地悪はしたくない。
それに大人気ない。
24歳にもなって、親の行動に一々文句や自制を促すなんて、馬鹿げてるし。
それでも僕は、彼女に嫉妬しているし、殺意を覚えている。
彼女には有って、僕には無いから。
僕をこんな風にした当事者の1人であるにもかかわらず、僕の目の前で楽しそうに、幸せそうにしているから。
だから殺してやりたくなる。
電話をしている最中にでも首を締め上げる。声も出せないほどに。
喉を貫くのもいいかもしれない。
そう妄想する僕は、正直な僕。
偽らない、本当の僕。
殺意だけでなく、実行まで妄想するのだから、非常に危ないね。
でも、罪は罰せられるべきなんだよ。
前も言ったけど、因果応報。
自ら行ったことへの報いは受けるべきなんだ。
その行為が罪なら、それは罰せられるべきなんだ。
現行の法律・刑法では、姦通罪は削除されてしまった。
これは、姦通罪は女性にのみ適用される男女不平等な法律であるため、憲法の保障する男女平等に反しているとされたことによる。
つまり、法律を根拠として罰することはできない。
そうであるならば、やはり自力救済しかないんだ。
罪には罰を。
以前も僕は書いたはず。
僕が書けば、何故か罪や罰といったキーワードが出てくるな。
僕はこのようにして、彼女の恥部、そして僕自身の恥部を打ち込んで気持ちを鎮めている。
誰かの目に晒されることで、彼女の人生に何の支障もないだろう。
けれど、僕がすっきりするから。
僕の気持ちを少しでもすっきりさせるために書き出すんだ。
世間に言うみっともないことを書く。
不謹慎と非難する人もいるのかな。
不謹慎っていうのは、結局のところ自身の道徳観念から導き出されるものだよね。
僕が不貞行為を悪としていることも、僕の道徳観念から導き出された帰結。
だから、不謹慎だなんて批難、的外れだよ。
なぜなら、それは批難する者の道徳観念から導き出された帰結だからね。
それでも僕はそんな批難にも傷つく。
スルーができない。
それでもこんな文章をアップロードすること自体、僕は止まらないということだ。