くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

ザクセン・シュピーゲル

っていう法典があったんだ。
それだけ。
自分は鏡が嫌いで、しかし、身だしなみには注意をしているつもりで、無難な格好を心がける。
結果、服装は無難。
無難な服装ってあるのか?って言われたら、無印のパンフレットにでも載っているかのような格好。
というか自分は以前、無印良品のパンフレットを参考にしていた時期があって、そのままずっとその形が続いている。

自分が、家から出たくない理由は、「服に着替えるのが面倒だから」というのがある。
それじゃ、今、打ち込んでいるこのときの格好は?と聞かれたら、上はTシャツ、下はパジャマみたいなのを穿いている。

ひきこもりから抜け出す為に必要だったことも服装だった。
何を着ていいのかわからない。
そこで辿り着いたのが、「脱オタ」を謳ったサイト。
例えば、ケミカルなんちゃらのジーンズはダメだとか、このブランドはダメだとか。

今でもあるのかな?
わからない。

ただ、1つ言えることは、外見がよけりゃ大体はおkってことだ。

それでも、何か着なければいけないので、ユニクロ及びg.uのポロシャツとジーンズでしのいでいる。
都会は知らないけど、田舎ならポロシャツとジーンズで十分だろうなぁって。
ズボンのことパンツとか、口に出して言った事ないな。
ジーンズ以外なら、カーゴパンツとか?
そもそも、カーゴパンツっていうのであっているのかもわからん。

以前、某人と話をしたことがあるけども、男はいいよなって。
上記な感じで服装なんてほとんど気にしなくていいんだもん。

女性は服装から化粧から髪形から大変。
あ、男も髪型が重要みたいだけど、自分は美容室?院?には行けないな。
自分はいつも、髪が伸びたら床屋さんで「すいてください」とだけ言って、すいてもらって終わり。
だからのび太みたいな感じの髪型かなぁって。

女性は大変って話だった。
めんどくせぇよなぁ。
早朝の電車内、向かいの女性が化粧を始めて、見るのも悪いから目線は逸らしていたけど、何か大変そうだなぁって。

男はひげを剃るだけでいいもんね。
ん、まゆげを整えるっていうのもしなくちゃいけないのか。
自分も一応、げじげじまゆげにならないように、切ってはいるけど、剃ったことはないな。


さて、ここからが本題。
前置きが長すぎた。

今日、鏡で自分の顔を見た。
毎日みねーのかよ!って、みねーよ!
始めに書いたけど、自分は鏡が嫌いだから。
それは、嫌いな自分がそのまま映しだされるから。

で、おでこにニキビが出来たので、薬を塗る為に鏡で自分の顔を見たら、「うわっ」と。
目の下にはクマができていて、生気が無い。
見つめる目も普通に見ていたらうつろで、覇気が感じられない。

自分はこんな顔をして、生活しているのかと。
誰と接することがなければ、顔を作る必要もないし、これが「本当の顔」なのかもしれない。
そう思ったら、ぞっとした。

目の下のクマが酷い。
睡眠時間4時間でもこんな風になるのか、と。

マイスリードラールハルシオンセロクエル
この4種類を飲み、眠っている。
睡眠は約4時間程。
しかし、「4時間ぶっ通しで寝続けられる」ことに意味がある。
薬を飲まずに眠れば、睡眠はぶつ切れ。
1~2時間に1回起きて、また眠り、また起きて眠る。
そうした4時間よりも、ぶっ通しの4時間の方がよっぽど睡眠に関して楽だ。
前者の場合だと、ダルさが残って眠った気にならない。

ただ、問題なのは薬の副作用?とするべきなのか、倦怠感が多くあるということ。
とにかく頭が重いこと。ふらつきも酷いこと。
そんな中で自転車をこいでいるのだから危ない。
自分ならまだいいが、他人にぶつからないように気をつけてはいるけど。

午後になってやっとまとも?になることができる。
意識がはっきりしてきて、ただ、生気の無い顔だろうけども。



人を心配することは偽善か?
偽善でも人を心配するべきか?

身を傷つけたということを表明する人を、かまってちゃんなどと言って見下すのか?
そこに「かわいそう」という哀れみにも似た深層心理があったとしても、自分は触れてみる。
それを偽善とするならそれもいいし、ただ優越感に浸りたいだけの奴と思いたければ思えばいい。

行動には何かしらの動機があって、表面しか見ることができない人間にはなりたくないなって。
相手の内面にまで入り込み、深く掘り下げようとは思わないけど、何かあるっていう見方ができればいいんじゃないのかなぁって。

ツイッターで、自殺について書いた。
自分は、生きる確証があるから、今、生きている。
死にたい死にたいと言いながら、こんな感じで感情や思考を打ち込み、表明している。
最たるものは、通院だろう。

通院を止めたら、自分はわからなくなる。
人に触れることすらできなくなる。
本当は、もっと話がしたい。
話がしたくて、だけど相手がいなくて。
カウンセラーの方の時間も限られている。
それに、患者は自分だけじゃない。

自分には子供じみた独占欲もある。
自分だけ見ていて欲しいっていう。
だからずっと話していたい。
これが依存に繋がるわけで。
この独占欲や依存も自分勝手で、自分主導でなければならない。
自分の気分で変わる。
ずっと一緒にいるのは嫌だ。
自分は他の人とも話がしたい。

境界例らしいな。

突発的に苛立つことも、急な不安に襲われることも今は無い。
今は、虚無感。
こうやって、PCを前に文章を打ち込むだけの日々。

周りは「治療」を行っていて、自分は何をしているんだ?
この自分を維持するための薬なんて飲みたくない。
飲みたくないのに飲むのは、わからない。
自分は何をしたいんだ?
救いなんてない。
あるのは孤独だけだって、そう書いて、一体何が得られる?

別に悲しくも無ければ楽しくも無い。
草を生やしたって無表情。
くだらないね。