雨男VS何名?
かかってこいやぁぁぁぁ!!!!
チョウシノンジャネ━━ (*`Д´)=○:・∵;(ノД`)ノ ヒイィィィ
ということで、今日は就職試験へ行ってまいりました。
始め、張り紙をみたら5○○番とか書かれてあったのでぽかーんとしてしまいましたが、何か、別枠?のような感じで、1○○番を飛ばして一気に5○○番って感じで書いてあり、安心しました。
それに、三桁であっても、100じゃなくてその下の桁、十の位と一の位が受験者数だったようで。
それでも7~80人いたような(3名の枠に)
これで、自分の夏の義務は全て終えました。
今日、公共放送の解説員の方が自殺したと知りました。
確か、先日も元民放のアナウンサーが自殺したとか言われていませんでしたっけ?
・将来への不安。
・自分を必要として欲しいという欲求を埋められずに。
・自分の無価値感。
・自分の存在意義の不明確さ。
・自分の非生産的生活への嫌気。
自分自身が自殺する場合に、理由として考えられるものを挙げてみました。
誰にでも当てはまると言われたら確かにそうですが、中身は違うでしょう。
さて、民法を交え、現状を説明してみよう。
くろ庭君は、親、指導教員、就職支援課(学校)と「新卒で内定を得る」という契約を結んだ。
これで、自分は「新卒で内定を得る」という債務(単純に借金と置き換えるとわかりやすいです)を負うこととなりました。
一方、親、指導教員、就職支援課職員は、債務の履行(内定を得ること・借金を返してもらうこと)を待つ債権者となりました。
さて、債務の履行(内定を得ること)には期日が定められています。
それは、くろ庭君の卒業日までです。
なぜなら、「新卒」と呼ばれた学生は、卒業したらもうただの求職者の1人として扱われるためです。
もし、卒業日までにくろ庭君が内定を得ることができたら、債務は履行され契約も完了となります。
しかし、問題は、くろ庭君が、内定を得ることができなかった場合です。
この問題を、債務不履行と言います。「債務」を「履行していない」んですね。
債務不履行は、その期(卒業日)を過ぎた時点から発生すると共に、3類型(履行遅滞・履行不能・不完全履行)があります。
まず、履行遅滞とは、読んで字の如く、債務の履行が遅れていることです。
上記の例でいけば、「新卒」の状態でなくなった瞬間から、履行遅滞は発生します。
次に、履行不能とは、契約をしていたにも関わらず、その後何らかの理由により、債務の履行が不可能となった場合です。
例えば、債務者であるくろ庭が自殺した場合。
自殺してしまえば、当たり前だけど、契約した当事者がいなくなったのだから履行は不可能となる。
最後に、不完全履行とは、内定を得たものの、それが卒業日を過ぎた段階、つまりただの求人者として内定を得た場合。
契約内容は、「新卒で内定を得ること」であったため、内定は得たものの、新卒でのことではありませんでした。
そのため、内定を得たという内容では契約が成立しているように見えますが、新卒ではないため、不完全なのです。
と、こんな感じで債務不履行の説明を交え、書いてきました。
ちなみに、債務不履行が発生したときは、損害賠償請求や、履行請求、契約の解除などを行うことができます。
例えば、親が「いつまでぷーたらしてんだ!働け!」というのは、履行請求ですね。
他に、「もう、お前など知らん。家から出て行け。二度と顔を出すな!」というと、契約の解除ですね。
まぁ、上記の「新卒で内定を得る」という契約自体、成立しないでしょうがw
しかし実際は、契約にも似たプレッシャーをかけられている事実があります。
その債務が履行できなくなった場合、自分は履行不能に持ち込もうとしているということを、再三書いてきました。
そもそも論で「新卒神話」という社会システムの不備が、結局は問題なんです。
「新卒が全て」
「新卒以外は相手にしない」という現状。
それに加え、昨今の経済状況の悪化による雇用情勢の冷え込み、そうするとおのずと「新卒枠」も絞られてきます。
企業の求めるリーダーシップを発揮でき、発想力豊かで、協調性があり、元気な熱意のある頭の良い人材は内定を得て、その他の自分のような人間は、内定を得られないまま、卒業を迎えるわけです。
そうして、私のようなあぶれた「元新卒者」は、ある人は仕事を求めハローワークへ、ある人はニートへ、ある人は自殺へ、と。
何が再チャレンジだ。
言葉ばかり。
一度踏み外したら終わり。
それは別に犯罪を犯したわけでもないのに、ただ「新卒で内定を得られなかっただけ」なのに。
そうなれば、意志薄弱な自分のような人間は、始めに書いたような理由から自殺を選ぶだろう。
自分にとって先が見えないというのは、それだけで恐ろしいことなんだ。
今、自殺をしたい理由の最たるものは、将来への不安。
つまりは先が見えないことの不安。
しつこいようだけど、内容は相対的。
だから、誰もが苦しんでいるのだからそれは甘えだ、なんて言えない。
と、自分は思っている。
また長くなった。
とあるブログの詩が脳に突き刺さる。
どれだけ道化師(ピエロ)を演じたとして、結局ただその瞬間だけ笑われて終わりだというのであれば、とても悲しいことだ。
自分は「僕」を抑止して、同級生に優等生を演じてきたつもりだ。
また、時には酔っ払いのフリをして、それこそおどけたつもりだ。
けれど、残ったものは何もなかった。
無条件に愛されることなどありえないにしても、自分が能動的に行った結果が何も生み出されなかったとき、自分は虚無感でいっぱいになった。
そうして失望する。
けれど、一度道化を演じた人間は、それを続けなければならない。
それが無意味であろうとなかろうと。
とても苦痛だった。
だから、「僕」が出てきたんだろう。
「俺」が苦痛に耐えられなくなって。
自分はどこへ行く?
いつもわからない。
チョウシノンジャネ━━ (*`Д´)=○:・∵;(ノД`)ノ ヒイィィィ
ということで、今日は就職試験へ行ってまいりました。
始め、張り紙をみたら5○○番とか書かれてあったのでぽかーんとしてしまいましたが、何か、別枠?のような感じで、1○○番を飛ばして一気に5○○番って感じで書いてあり、安心しました。
それに、三桁であっても、100じゃなくてその下の桁、十の位と一の位が受験者数だったようで。
それでも7~80人いたような(3名の枠に)
これで、自分の夏の義務は全て終えました。
今日、公共放送の解説員の方が自殺したと知りました。
確か、先日も元民放のアナウンサーが自殺したとか言われていませんでしたっけ?
・将来への不安。
・自分を必要として欲しいという欲求を埋められずに。
・自分の無価値感。
・自分の存在意義の不明確さ。
・自分の非生産的生活への嫌気。
自分自身が自殺する場合に、理由として考えられるものを挙げてみました。
誰にでも当てはまると言われたら確かにそうですが、中身は違うでしょう。
さて、民法を交え、現状を説明してみよう。
くろ庭君は、親、指導教員、就職支援課(学校)と「新卒で内定を得る」という契約を結んだ。
これで、自分は「新卒で内定を得る」という債務(単純に借金と置き換えるとわかりやすいです)を負うこととなりました。
一方、親、指導教員、就職支援課職員は、債務の履行(内定を得ること・借金を返してもらうこと)を待つ債権者となりました。
さて、債務の履行(内定を得ること)には期日が定められています。
それは、くろ庭君の卒業日までです。
なぜなら、「新卒」と呼ばれた学生は、卒業したらもうただの求職者の1人として扱われるためです。
もし、卒業日までにくろ庭君が内定を得ることができたら、債務は履行され契約も完了となります。
しかし、問題は、くろ庭君が、内定を得ることができなかった場合です。
この問題を、債務不履行と言います。「債務」を「履行していない」んですね。
債務不履行は、その期(卒業日)を過ぎた時点から発生すると共に、3類型(履行遅滞・履行不能・不完全履行)があります。
まず、履行遅滞とは、読んで字の如く、債務の履行が遅れていることです。
上記の例でいけば、「新卒」の状態でなくなった瞬間から、履行遅滞は発生します。
次に、履行不能とは、契約をしていたにも関わらず、その後何らかの理由により、債務の履行が不可能となった場合です。
例えば、債務者であるくろ庭が自殺した場合。
自殺してしまえば、当たり前だけど、契約した当事者がいなくなったのだから履行は不可能となる。
最後に、不完全履行とは、内定を得たものの、それが卒業日を過ぎた段階、つまりただの求人者として内定を得た場合。
契約内容は、「新卒で内定を得ること」であったため、内定は得たものの、新卒でのことではありませんでした。
そのため、内定を得たという内容では契約が成立しているように見えますが、新卒ではないため、不完全なのです。
と、こんな感じで債務不履行の説明を交え、書いてきました。
ちなみに、債務不履行が発生したときは、損害賠償請求や、履行請求、契約の解除などを行うことができます。
例えば、親が「いつまでぷーたらしてんだ!働け!」というのは、履行請求ですね。
他に、「もう、お前など知らん。家から出て行け。二度と顔を出すな!」というと、契約の解除ですね。
まぁ、上記の「新卒で内定を得る」という契約自体、成立しないでしょうがw
しかし実際は、契約にも似たプレッシャーをかけられている事実があります。
その債務が履行できなくなった場合、自分は履行不能に持ち込もうとしているということを、再三書いてきました。
そもそも論で「新卒神話」という社会システムの不備が、結局は問題なんです。
「新卒が全て」
「新卒以外は相手にしない」という現状。
それに加え、昨今の経済状況の悪化による雇用情勢の冷え込み、そうするとおのずと「新卒枠」も絞られてきます。
企業の求めるリーダーシップを発揮でき、発想力豊かで、協調性があり、元気な熱意のある頭の良い人材は内定を得て、その他の自分のような人間は、内定を得られないまま、卒業を迎えるわけです。
そうして、私のようなあぶれた「元新卒者」は、ある人は仕事を求めハローワークへ、ある人はニートへ、ある人は自殺へ、と。
何が再チャレンジだ。
言葉ばかり。
一度踏み外したら終わり。
それは別に犯罪を犯したわけでもないのに、ただ「新卒で内定を得られなかっただけ」なのに。
そうなれば、意志薄弱な自分のような人間は、始めに書いたような理由から自殺を選ぶだろう。
自分にとって先が見えないというのは、それだけで恐ろしいことなんだ。
今、自殺をしたい理由の最たるものは、将来への不安。
つまりは先が見えないことの不安。
しつこいようだけど、内容は相対的。
だから、誰もが苦しんでいるのだからそれは甘えだ、なんて言えない。
と、自分は思っている。
また長くなった。
とあるブログの詩が脳に突き刺さる。
どれだけ道化師(ピエロ)を演じたとして、結局ただその瞬間だけ笑われて終わりだというのであれば、とても悲しいことだ。
自分は「僕」を抑止して、同級生に優等生を演じてきたつもりだ。
また、時には酔っ払いのフリをして、それこそおどけたつもりだ。
けれど、残ったものは何もなかった。
無条件に愛されることなどありえないにしても、自分が能動的に行った結果が何も生み出されなかったとき、自分は虚無感でいっぱいになった。
そうして失望する。
けれど、一度道化を演じた人間は、それを続けなければならない。
それが無意味であろうとなかろうと。
とても苦痛だった。
だから、「僕」が出てきたんだろう。
「俺」が苦痛に耐えられなくなって。
自分はどこへ行く?
いつもわからない。