くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

カウンセラーとドクターって、ひらがなで書いたら臨床心理士と医師であってんのかな

拍手にコメントが書いてあることに、今日、気がついた。
ありがとうございます。
拍手していただくだけでも嬉しいです。

本音を言えば、拍手の数が1つでもついていると、それが物凄く嬉しいです。

拍手をもらうために書いている文章でないにもかかわらず、そのボタンを押してくれたという現実が、嬉しいです。

と、改めてこんなことを言う自分が恥ずかしい(ノ∀`)


さて、本題。
といっても、今日は何を書けば良いのかわからない。
よって、これから他人様のブログを覗き込んでくる|д゚)
一旦ストップ。


んーっと、カウンセリングについて。


2名、カウンセリングについて書いてあるブログがあって、「カウンセリングに対して疲れてしまう(という風に自分は読んだ)」と、「カウンセラーに気を遣ってしまう」っていうのがあった。


まずはカウンセリングに疲れている事に関して。
これ、物凄くいいことなのではないかなぁと。
カウンセリングになっていないのかもしれない。
カウンセリングよりいい方法や手段がある、または、相手がいるのかもしれない。
その状況って凄く良いことなんじゃないのかなぁ。

素人考えだけども、カウンセラー以上のその環境ってのが、きっとこの方には大事なのだろうなぁと思った次第です。

もう1つ、「カウンセラーに気を遣ってしまう」
これは、あるある。
ちなみに、主治医にも、看護士の方にも、誰にも彼にも気を遣ってしまうことがある。
んー、そうだった、という過去形にしてしまうほど、今の自分も気を遣っていないと言えば嘘になる。
だから、やっぱりあるある、だな。

自分の場合の気を遣ってしまう心理

・自分の話で相手に負担がかかっているのではないか
・自分の話で相手に真意が伝わっておらず、もしかして相手は苛立っているのではないか
・もしかして、この場、時間すら面倒なのでは?
・これはあくまで仕事だから話に付き合ってくれているのであって、心底、自分を心配しているわけではないのでは?


そんなこんなで、カウンセラーの方(主治医も)の話に、納得行かない部分が少しあったとき、気を遣って反論できないときがある。
って、だけなんだけど(;・∀・)


今、自分の担当カウンセラーの方は、自分に合っている。
どう合っているかという説明は難しいけれど、簡単に言えば、質問攻めじゃないこと。

これはきっと、現主治医が伝えてあることだったのかもしれないけど、担当カウンセラーの方は自分の話をよく聞いてくれる。
もっと言えば、ほとんど自分が一方的に話をしている感じ。

一通り話をし終えたら、まとめタイムって感じで自分のゴチャゴチャな話をまとめてくれる。
で、カウンセラーの方が意見を言う。

その意見というのは、提案ではなくて「私はこう思った、こう感じた」っていう発表の仕方。
これが自分にとって好感を持つ要因なのかもしれない。

「私はこう思った。だからこうした方が良い」なんてことは言わない。
その「だからこうした方がいい」というのは、主治医の仕事だ、と自分は考えている。

カウンセラーは理解者、主治医はアドバイザーみたいな。
少なくとも、今の自分の病院での体制はこんな感じ。


以前の主治医は、理解者とアドバイザーを兼ね備えていた。
自分の話をよく聞いてくれて、その上でアドバイスをしてくれる。
だから、今でも自分は以前の主治医が最高の先生であると思っているのかもしれない。


カウンセリングで疲れるというのは、代替するものがあるからなのかもしれない。
カウンセリングで気を遣ってしまうというのは、気を遣ってしまう自分の顔が出てしまうからかもしれない。

前者は経験がないため、自分はわからない。
後者はわかるような感じ。


自分がカウンセリング及び精神科へ通院している身であるため、アドバイスなんて偉そうなことは言えないけど、自分の経験側上「本当の本当に追い込まれたとき」、「相手に気を遣う」といった感情は消し飛んでしまう。


今だってその方は、追い込まれていて、辛いのかもしれない。苦しくてたまらないのかもしれない。
だけど、ほんの少し何かしらの自分の顔が作ることができるだけの余力だけはある状態なのだと思う。

繰り返しになるけど、「相手に気を遣うことのできる自分を作ることができる」というのは、辛いことだろうし息苦しいことだろうけど、凄いことだと感じる。
だからどうしたと言われたら、これ以上の言葉は思い浮かばないけど、頑張っている証拠だと自分は考える。


上記のことなんだけど、わざと自分を本当の本当に追い込めって言ってるわけじゃない。
相手に気を遣わなくなるまで追い込まれる状況なんて、悲惨以外のなにものでもない。

ただ、相手に気を遣わなくなるようにするには、カウンセラー自身の問題もある。
話をよく聞いてくれて、余計なアドバイスを付け加えないカウンセラーの方なら、多分、気を遣わずに済むのではないかと思う。
この点で、カウンセラー選びというのも、面倒だけど、大事なのだと痛感する。

自分は今、通院している場所ではカウンセラーと主治医の機能が上手く回っている。
これは幸せなことなのかな。
多分、良いことなんだろう。
だから、こんな風に他人の心配までできるんだ。

まず、自分をどうにかしろって。
はい、すんません(ノ∀`)

それと、追記前に書いた拍手へのコメントについて、ずっと無視する形になってしまっていた。
謝るというのは、とてもずるいからなんて言葉で締めくくればいいのか。

コメントを拝見しました。
ありがとうございます。
ずっと無視していたかのような形になってしまいましたが、故意ではなく過失です。
そのため、無視ではなく、気づかなかったんだ、と捉えていただけたら幸いです。


って感じの弁明でいいのかな。
謝るのは簡単。
でも、ペルソナ2罪っていうゲームで「シャドウゆきの」っていうのが「謝るのは卑怯だ。謝れば相手は許さざるを得なくなる」って感じのことを言ってたんですよ、確か。
つまり、相手の選択肢を無理矢理「仕方ない。許してやるか」に誘導する言葉だ、って。

そうしたとき、簡単に謝罪の言葉を述べるのはいけないことだよなって思った。
もちろん、実社会において、自分が悪ければ(実際はそんな悪くなくても)、謝れば大体のことは許され、済む。
そうしないと、一々面倒だからね。

『「ごめんなさい」より「ありがとう」って言って欲しい』って言われたっけ。
ごめんなさいをありがとうに置き換えて、それもまた中々難しくてね。
染み付いた誤り癖を治すのに、どれくらいの時が必要なんだろうなぁ。


話がもうわけわかんない方向に行っちゃったな。
ともかく、拍手及びそれに附随して書いていただいていたコメントにつきまして、本当にありがとうございます。

自分のこの場での文章は、多分とても変で、非常識で、幼稚で、頭の悪さがにじみ出ているようなものであると思います。
それを踏まえた上で、また、ご訪問いただければと思います。

重ね重ねではありますが、本当にありがとうございます。



らしくねぇか(ノ∀`)ノ∀`)ノ∀`)ジェトストリームアチャー