くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

ロープと柱

毎度のことで。

人は簡単に死ぬことができて、その奥さんは気丈に振舞って、近所の人もそれに触れないようにして。
自分はそれに動揺し、憧れて、その決意をどのようにもっていけばいいのか、わからない。

先週の金曜日、帰宅途上、横手駅に着き、自転車置き場で自転車の鍵が無いことに気がついた。
秋田駅のホームで落としたと思う。

自分はよく物を無くす。
それは自分が掃除ができないことに原因がある。
整理整頓ができないということもある。

何か物を使ったら、その場に戻さずに次に使うときに便利な場所に置いておく。
共有している物に関しては違うけど。


自殺のことを考えると、心臓がドキドキしてくる。
リアルな場面を想像すると、緊張してくる。
けれど、今、どうにかそれを乗り切るだけの術が見つけられたような感じがしている。

これは、先日も言ったけど境界例に由来するものなのかもしれない。
自身を生贄にしてでも自分の思い通りにしたいといった思考。
これをリアルな場面、緊張感を打ち消す術として使えそう。

実際はとても決心が必要で、本当に面倒に感じている。
ただ、わかったことは、頑丈なロープさえあれば人は簡単に死んでしまえるということ。
現在、家には頑丈なロープがない。
タオルでもいいという人がいるかもしれないけど、自分は力が弱いから結び目が上手く結べないと思っている。
よって、ロープで団子結びを作るのが一番緩まずに済むのかなと。

場所は決めていて、書かないけど絶対に外れない場所。
時間は早朝。田舎だから人通りも少ない。
遺書は書かない。書くことなんて何も無いから。

日本は絞首刑の国。
日本国憲法では、残虐な刑罰を禁止している。
判例により、絞首刑は残虐な刑罰に当たらないとしている。
そう考えたとき、絞首による自殺というのは、妥当なというと表現がおかしいけれど、そんな感じの方法なのだと思う。
苦しいか、痛いか、辛いかは別にして。

と、自殺に思いをめぐらせているわけだけど、実際のところは生きたい。
そのため、これらの非現実的な思考をカウンセラーや主治医に聞いてもらいたい。
そうして、その応え方によって、今後の見の振り方を考えていこうと。

実際、精神に異常がないとされ、単に人格障害の類であれば、自分は精神科へ行くことに意味があるんだろうか?
確かに、薬が無ければ自分を保てない。
けど、そんな一生はもういい。

直近の問題である就職活動状況についても、最悪だ。
これがよければ、生きていく糧を得ることができただろうけど。

今、私は自殺がしたい。
誰も道連れにすることもなく、死んでしまいたい。

いつも口だけ。
どうして伯父さんは鉄塔から飛び降りたんだ?
お隣りさんは何故、首吊りを?
要因じゃなくて、答えが知りたい。


(゚ω゚)「たすけて」

( ^ω^)「あまえてんじゃねーよ」


(゚ω゚)「たすけて」

( ^ω^)「おまえだけがくるしいんじゃねーよ」


(゚ω゚)「たすけて」

( ^ω^)「うるせぇよ」


こんな世界。
狂っているのは自分か世界か。
使い古された言葉の意味、少し触れられた気がする。

生きたくてたまらない。
その根拠がこのブログの文章に詰め込まれている。
しかしながら現実は、それをかき消すように自分を追い詰めていく。
自分で自分を追い詰めているだけだ、とか言う人は、孤独じゃない人なんだろう。

今、私の実社会において、慰めを請うことができるのは医療従事者だけだ。
親は血の繋がった他人、他人は他人。
自らが望んだことでも、そう仕向けたことでもない。
全て、ある契機を境に変わってしまったんだ。

それすら言い訳で、過去は戻らないから苦しくて。
決まっている答えを再確認してばかりだ。

死んでしまいたい。
死んでしまえば、楽になるかどうかは知らない。
死んだことがないから。
その先に輪廻転生といった説や、天国・地獄といった説があるにしても、そんなものはどうでもいい。
私は、現実から離れてしまいたい。

妬み、恨み、憎しみといった感情を他者に向ける気はない。
それでは、今までにいた通り魔と同じで終わってしまう。
彼らは自ら命を絶つ事をせず、公の機関による裁きによって、刑に処される。
それはあまりに見苦しい。

発つ鳥跡を濁さず。
隣人の死は、実にスマートだった。
だから、憧れたんだ。

生きていたい。
生きていたいが、死ななければならない。
死ななければ、自分はどうすればいいのかわからない。
今日もわけがわからないことを書き連ねてる。

死ななければならない。
生きていてはいけない。
死ななければならない。
死ななければならない。

言い聞かせるなんて、馬鹿行動もしてみたりしている。
自己催眠なんて。

そうだった。
待っている人がいる。
臓器移植だった。
死を渇望している人がいた。
彼らは期待に満ち溢れている。
免許証の裏に、書いておく。

今日も、気分を悪くしてしまう文章でごめんなさい。
って感じで、気を回すだけの思考があるので、大丈夫です。
それでは。