くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

探してみたってもう、見つけられるのは自殺だけ

今日は1発目の弾。
募集7名に、会場にはざっとみただけで60~70以上がいた。
その時点で終わっているだろう。
自分はその中の下から何番目なのだろうなと思いながら試験に臨んでいた。
問題も大して解くこともできず、自分にとって相手方に伝えうるよい材料が何も無かった。

明後日は午前に2発目(募集2名)、午後に3発目、次の日3発目の続き。
13日には4発目。
よって、今週末・明けは行動すべき事情が続く。

全て外れるという自信?確信?
誰も自分など必要としていないさ、という言い訳?
実際そうじゃん。
誰一人、俺のことなんて必要としていない。
必要とされるためには、必要としなければ、なんてそんなの「※但しイケメンあるいはコミュニケーション能力が高い人に限る」ってことだろ。

無駄無駄。

全部外れたら、○にます。
言論統制怖いお。
通報されたらネットできなくなっちゃうんじゃないかって不安だお。

本当に、ブログを読んでくれてありがとう。
価値の無い人生さようなら。

そう書くときが、刻々と近づいている。
今月が山。

確かに、今の日本で餓死することは稀であり、どうにかして生き延びることは可能だろう。
けれど、餓死をしないために生きるというのも、それはそれで大変な生活ではないだろうか?
私は、最底辺としてホームレスを位置に置いている人間だが、そういった人々も、大変な生活をしているのだろうと考える。当然といえば当然か。

その大変な生活を自分はできそうもない。
それは甘えた考えだと言われたらその通りで、けれど、私はそう甘えた考えの基、自殺と言う結論を下すことについて、私には許されたことであると考えている。
私の過去を知らない人間にとっては、ただの甘言や戯言。
知っていたとしても、甘言、戯言であると判断されるのかもしれない。
けれど、私はあくまで過去に甘えた判断を下す権利は自身にあると考えている。

って、批判されたくないからって、すげぇ予防線張ってんのね。ああ恥ずかしい恥ずかしい。

NNTの人間はゴミであるかのように見るこの世界に、私はうんざりです。
確か、自殺者が前年比より減ったそうですね。
もう「世間が言う社会のゴミ」の処理は終わりに近づいているのかな?
私もその対象たる存在であり、処理されうる対象だろう。

おわり