くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

ん?

書きたかったことを思い出したので書く。

「幸せ太り」
「幸せ太り」って本当にあるんだなぁって、ゼミ仲間(以下A)を見ていてそう思った。

Aは昨年末か、今年初めに彼女の存在を自分に打ち明けた。
Aは、見た目はとっつき難そうだけど、接するととても優しくて冗談も通じる、俗に言えば「いいヤツ」。
そのため、彼女がいると言われても、別に不思議とも思わなかった。
ただ、それを聞いたときに相変わらずの嫉妬心が自分の中にあったのは本音だけど。

で、自分は現在、ゼミ以外で学校へ行くことはないんだけど、会う度に(と言うと言い過ぎかもしれないけど)太っている気がする。
同時に笑顔も多くなってきているような。

Aと話す機会はゼミくらいだから詳細はしらないけど、やっぱり幸せな気分、状況は、人をふくよかにするのだろうなぁと。


話は変わって、就職活動。
まだやってんのかよw
って笑う人は笑えばいいさ。
自分は笑われるような人間だ。
我慢する必要はない。
思いっきり笑えばいい。
自分はそれを受け止めるから。

数えたら、7つに応募した。
履歴書は5枚ほど書いた。
1つは書類選考ありだから、そこで蹴られたら終わりだけど。

他は試験日程が決まっているから、それに向けて勉強を。
する気にはならない。
もう、ダメっぽいね。
心が折れるってよく言われるけど、それがわかった。

自分は心が折れていて、折れている中で行動だけはしている。
行動だけはできる。
けれど、結果が伴わなければ、この行動というものも、一切評価されないんだ。

そして、自分は受験前から諦めてしまっている。
これはもちろん、防衛線を張っているということであり、傷を深くしない為。
不合格っていうのは、絶対に慣れない。
感覚が麻痺してくる、とかそんなのありえない。
不合格に一喜一憂しないこと、とか無理です先生。
それより薬を増やしてください。

さて、この7つの受験、全て落ちたときを想像してみよう。
きっと主治医は、「次の行動を探そう」と言うのではないだろうか。
森田療法から言えば、止まっていることはあまりよくないことだ。

そのとき、自分は無理ですと言うことができるだろう。
それでも強要されたら、気が狂ってしまう。

今、心に余裕がある。
それは、自分の役割をこなしたことの達成感。
行動はした。
後は結果のみ。

その結果がダメだったら、だったな。
そのとき自分は、何を考えたらいいんだろう。
卒業試験もある。
卒業試験なんて、基礎中の基礎なんだけれども、出題がランダムだから面倒だ。

卒業試験に臨むモチベーションは無くても、卒業試験は受ける。
そして、合格してみせる。

けれど、NNTに変わりは無い。
前も言ったけど、誰も過程は見ない。
見るのは結果のみ。

カウンセラーの人が言ってくれたっけ。
「くろさんの過去を全く知らない人が、今のくろさんを見て評価してるんだよね。そりゃ苦しいよ」

そう。
だけど、過去を共有できる人がいない。
それだけ信頼できる人がいない。
それ以前に人を信用できない。
人を信用できない人間が、人を頼るだなんて馬鹿らしいんだよな。

自分だって、ここまで頑張ってきたんだって言いたい。
機能不全家族家庭内暴力、ひきこもり、精神病、人格障害
理解なんて、されるわけない。
自分はおとなしい、人当たりがいい、自己主張をしない人間として演じている。

それは、それぞれの顔で、でもそれだけじゃない。
けど、学校ではそんな顔しか出してこなかった。
結果、敵なんて1人もいなかった。
むしろ、味方になってくれそうな人のほうが多かった。
当然だな。
それを目的に、顔を出していたわけだから。

それも終わるだろう。
最近は崩れはじめている。
別の顔が、利己的で閉じこもる顔が現れ始めた。

「本当の」境界例の雰囲気が出始めてきている。
ここでの文章では自制しているけど、今、頭の中、心、精神、一緒か、とにかくそこでは境界例に侵されている。

失うから、自制する。
未だに生きていくことを前提に、物事を考え、行動するだけできている。
自分は一生、死ぬ死ぬ詐欺を行っていくんだろうか。
それがとても恥ずかしくて、期待を裏切って恥を消し去りたい。
できればそうしたい。

7つ。
一つ一つが希望で、一つ一つが失望に変わっていく。

スタートラインから振り回された自分の人生。
ガキが人生を語るとは、って思う人もいるだろう。
そう思った時点でタブ消してくれ。
振り回された挙句、どうにか自分を取り戻したかと思ったら、自分は途方もなく遠い場所にいた。
それでも頑張って、普通に近づける気がして進み続けた。
けれど、自分を取り戻すまでに、失ったものが多すぎて、それに気がついたとき失望した。
しかしながら、進んだ。失ったものについては折り合いをつけられずにいたけど、とにかく進んだ。
でもやっぱり、結果は出なかった。

始まる前から終わっていた。
これは、言い訳になるのだろうけど、その言葉がとてもあう人生でした。
今までありがとう。
さようなら。

なんて、こんな感じで終わらせて、周囲を心配させてやろうって思考、境界例らしくない?
ま、以前より自分は人との交流に関しては消極的だから、対象はないだろうけどね。
もういいんだ。
誰に理解されずとも、自分は決めているから。
ほいじゃ、また。