くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

2つのコンプレックス

明日は普通の病院へ行ってきます。
就職活動に使う、健康診断書の発行のために。

普通、健康診断書は、1年から4年まで春に行われる健康診断+レントゲン撮影+尿検査を受けていれば、大学指定の病院で、格安(うちでは400円前後)で発行してもらえます。

ただ、ある所(特定の企業であったり組合であったり)では、そこ指定の履歴書、健康診断書が必要になります。
その際、健康診断書の発行がクソ高いわけです。
割引が利けば5千円前後、普通は1万は取られたりします(経験則上)。

明日はそのクソ高い健康診断書を発行してもらうため、病院へ行ってきます。
即日発行ならいいのですが、もし数日かかるとなれば送付に間に合いません。
連絡でどうにかなればよいのですが、どうにもならないとなると、お金も無駄になりますし。
って、こんなギリギリになって動いているからこんなハメになるのだと。

必要書類も、明日までに届かなければ直接、取りに行かなければならないし。

実質的に8月で、我々4年生の就職活動は終わりだそうだ。
確かに、9月からは平成24年度卒業見込みの学生が対象の就職活動が始まる。

何ヶ月就職活動をしていようが、結果が得られなければ評価されない。
努力と一緒。
過程なんて誰も見ていないんだよ。

学力コンプレックス。
自分は本当に馬鹿で、小学生レベルの教養問題も危うい人間です。
政治経済はともかく、英国数理は無理です。
そのため、筆記試験を通過できないのです。
また、それに附随して、面接試験。
面接は論外。
どちらもダメだから、今の無い内定の状況があります。

その現実を考えるたび、苦しくなります。
自分を知らない人は、多くの非難の言葉を浴びせることでしょう。
そんな言葉なんて無視しておけばいい。
そう他人には言えるくせに、自分のことになるとそうもいかなくて。

自分は馬鹿です。
とても馬鹿です。
どうしようもない馬鹿です。
死ねばいい程の馬鹿です。

そんなことを言って、どうにか他人からの非難を避けようとしている自分がいて、そういう自分も馬鹿です。

コンプレックスをもう1つ。
自分が怖いのは他者への依存。
例えば、主治医やカウンセラーに対する依存。

そこには、恋愛感情とかいうものじゃない、本当に命綱とも名付けられるような必死さがある。
相手にとっては当然、対価を支払ってもらっている以上、依存を避けるわけにはいかないわけで。
それを踏まえて、自分は依存してはならないと自制する気持ちを持ちながら、接するようにしている。
けれど、どうしても依存という言葉が頭から離れない。

ただ、医療関係者に依存することに関しては、抵抗感は弱い。
上記の通り、あくまでお金が絡んでいるため。

しかし、本当の意味での人間関係の場となった場合に、自分は依存することが怖くなる。
それがわかっている。
絶対に依存するということがわかりきっている。
だから、自分の領域には踏み込ませないし、相手の領域にも踏み込まない。

そうして自分は人間関係を形成してきた、つもり。
結果、友人などおらず、恋人なんてどこの話?

うすっぺらいね。
ぺらぺらで。
そんな人間、今の社会には要らないんだよね。
それを認めたくないから、どうにか就職活動を続けているんだけど。
必要となる人間ってどんな感じ?
生きていくことを前提とした場合に。

わからないね。