くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

墓場に降る死の雨

「5月のカレンダーは、そのままにしておくんだ」
「俺は6月が大嫌いなんだ」
ここでは初めて書くことだったかわかんないけど、上記のは伯父さんの言葉。
理由は、家の家系では何故か、6月に亡くなる人が多いから。
縁起かつぎで、6月は「無かったこと」にしたいみたい。
もちろん、亡くなった人を無かったことにしようという想いじゃないだろうけど。

死因は病死と自殺。
自殺のDNAは継承されていたんだな。

自殺をした彼について。
親類が皆、彼からの借金の申し出を拒んだ後に、彼は自殺をした。
彼はよく嘘を吐いていて、借金の口実も嘘だった。
何故、本当のことを言ってくれなかったのか、と。
本当のことを言えば、お金なんて貸してやったのに、と。
狼少年のようになってしまった彼は、鉄塔に登り、そこから落下し、亡くなった。

彼には子供と奥さんがいたが、奥さんは彼の苦しみをなんら理解してくれなかった。
唯一、彼が救いだったのは、兄弟の存在だった。

しかし、その兄弟からも拒まれ、思考はどのようなものだったのだろうな。
子供のことを考えたら、なんて、そんなこともできなかったのではないかと思うんだ。
彼には居場所がなくなってしまった。
救いの手も消えてしまった。
残された思考の中で、彼はどう鉄塔に登って行ったんだろう?

これは自分が聞かされた、「自分の中での事実」
本当のところはわからない。
ただ、自殺したのは確かで、その人の話はタブー。


終わったことについて話をしたり、それに目を向けることは無駄だと言う人がいる。
例えば、自分がいつも抜け落ちた過去を書き連ね、それに苦しんでいる姿を見て、馬鹿だと思う人もいるだろう。
けれど、事実は存在していて、どうしても頭から離れないんだ。
過去に折り合いをつけなければ、どうしても抜け出せない。

その折り合いのつけ方がわからなくて、前を向くことができずにいる。
身体は正面を向き、視線は後ろを振り返るような。
で、そんな感じで歩いているから、目の前の問題にぶち当たったとき、ああやっぱり過去のせいだって言うんだ。


世間様では、6月は結婚をする月だったっけ?
最近は、自分達の記念日に結婚をするから、そういうのは関係なくなっちゃったのかな。
って、どうでもいいけど。

ネットで見かけた。

A「結婚は人生の墓場だよ」

B「それは違う。墓場ならまだいい、そこで終わりなのだから。」

さて、その実は。