くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

詩を読み想う

感想文。
失礼。
「人生とは、選択の連続である」と誰かが言った。

本当だろうか?

「学校に行くか、行かないか」

それを決めるのは自分である。

周囲の意見があったにしても、それを聞き、行くか、行かないかを決めるのは最終的には自分であると、誰かは言う。

つまり、ものごとの最終決定権は全て自分にあると。

本当だろうか?

抗うことのできない力によって、「そちら」に導かれたのではないだろうか?

言い換えるなら、「選択させられた」のではないだろうか?

---------- キリトリ -----------

って感じで。
詩っぽく書いてみたんだけど、やっぱりダメだな。
ぜんぜん詩じゃねーじゃんかw

自分の言いたいことは、「人生は選択の連続だ」と言っているけども、それは「自分で」選択するばかりではない。
自分で選択しているように思い込まされていたり、自分が思い込んでいたりする場合もあるのではないか、ということ。

「俺は不登校を選んだ」のではない。
抗うことのできない力によって、そうさせられたんだ。

ああ、でも「人生とは選択の連続だ」って、「生まれたときから」っていうのが入っていないから、自分じゃ当てはまらないか。

どこで人生の選択は始まるのかなぁ。
それによって違ってくるよな。

ただ、何でもかんでも自己責任で終わらせる世界なら、それこそ終わってしまえばいいよ。
なんのための世界、国家、社会、世間?
「あなたが選択したから、ダメでした、終わりです」なんて、笑っちまうね。

だから、「そうさせられた」「そちらの方へ導かれた」人間がいると、想ったんだ。
それすら、「自らの選択」の範疇であると言うのなら、もういいや。

俺は、そうさせられた、導かれた人が死んでいっているのだと考えているよ。
そんな彼らをもまた、「自己責任」と片付ける社会なら、いらない。なくなってしまえ。


あ、詩の感想が、何か批判めいた?というか反論のような形になってしまったことは、申し訳なく思います。
自分は、あなたの書く詩が好きです。
詩など書く才能の無い人間の勝手な意見だけども、「僕」の何かが伝わってくる。
それは、こちらが勝手に解釈していることで、真意など当たるはずはないけど、「僕」のことを勝手に想像している。
その結果、自分は好感を持って詩を受け入れられるわけです。

と、自己弁護するところに、自分の弱さが表れて。
お恥ずかしい限りですな。