くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

おはすみなさい

今日のテストは9割。
今、寝起き。

私はわがままで、幼稚な人間です。
そのため、今日も両親に迷惑をかけてしまいました。
私はいつも、両親に申し訳なく思います。
私の存在があったことで、家庭が壊れたのではとも思います。
それは、兄の暴力も、母の不貞行為も、家族崩壊も、私の存在がなければなかったことであると考えるためです。

私は兄が大好きでした。
保育園のバスの出迎えをしてくれたのはいつも兄で、鞄を持ってくれるのも兄で、住宅の部屋の鍵を開けるのも兄で。
そういえば、授業参観日には母に付いていき、兄の授業を見た記憶もあります。
それで3人、一緒に帰って。

その兄が変わったのは、私が小学生になってからのことで、そのあたりから両親がよく喧嘩をしていました。
小学校1年、2年までは特に大きな出来事はなかったと思います。

今思い出しました。
小学校2年生の夏休み、母方のおじいちゃんが亡くなりました。
今思えばその時、母方の祖母が、兄や姉に「何か」を吹き込んだように思いました。

祖母は、私に冷たい人です。
私が嫌いなんです。
それは私が、兄や姉と父親が違うからです。
異父きょうだいってことですね。

祖母はいつも、兄と姉を贔屓しました。
言動、表情、それらが私のそれと大きく違っていました。
祖母はいつも私をにらみ、ことあるごとに叱り、ののしりました。
その理由がわからなかった私は、祖母に好かれようとしました。

祖母の機嫌を取るため、「おばちゃんが好きだよ」とか、何か手伝いなどもしました。
そうすると、祖母の機嫌はよくなるのですが、それも一時的で、やはり嫌なものを見るかのような目で私を見てきました。
そしてここでも、「お前はいらない」と。
そうなると、お前はいらないと言われたのは、ここで初めて言われた言葉だったんですね。
後に祖母の娘に同じ言葉を言われるという皮肉w

小学校2年の夏休み、自分は床屋さんに行き、坊主頭にしてもらいました。
田舎の葬式は長くて、何週間か忘れましたが、とにかく長かったです。
その間に、兄と姉との距離が少しずつ離れていったのかなと。

そして、地元へ帰ってきた後、少しずつ少しずつ何かが変わって、兄と自分の関係が壊れた。
兄は私に暴力をふるうようになり、それが長く続き、私の異変に気づいたことで、今度は両親の喧嘩が絶えなくなった。
母はそれに嫌気が差したのか知らないが、他の男と。
自分の潔癖の原点はここにあるわけです。
それゆえ、不貞行為をなす人を私は軽蔑します。
しかし、私はそこまで厳格ではありません。
「私の母が」不貞行為をなしたという理由から、私は完全に母を軽蔑するようになりました。
当然、父が同じようなことをすれば、私は完全に軽蔑をします。
父に関しては、私が知らないだけかもしれませんが。

一方で、他者が不貞行為をなした場合、その他人との関係性によっては、それを許容するだけの想いはあります。
それはきっと、他人だからということと同時に、他人を否定することへの恐怖があるからかもしれません。


それらが交わり、結果として家族は崩壊しました。
私自身も頭がおかしくなりました。

私がいなければ、争いは起こらなかったのです。
私が生まれてこなければ、この家庭は成立していたのかもしれません。

もしもなど、無駄なことは承知の上で書きました。

かわいそうでしょう?酷い現実でしょう?など、悲劇のなんちゃらを思い描いて書いたつもりです。
自分だけが一番不幸であるかのような想いで。
そんな計算で、書きました。

やっと頭がさえて来て、何を書いていたんだとか思いました。
馬鹿ですね。
自分の過去を晒すのが好きなんですよ。
自分の過去を自らの内に留め置くことができなくて。
そんな苦しい思いはしたくないという理由もあって。

同情して欲しいんです。
かわいそうだねって。
それからの言葉はいらなくて、ただそう言ってもらえたらなんて欲求が、こんな文章を書かせたんです。
卑怯ですよ。

自分なんてひつような~い。
自分なんていらな~い。
自分なんてしんでしまえばいい~。
自分なんてきえてしまえばいい~。

幼稚ですw
いつもそうなんです。
自分の存在に違和感があって、ひねくれて、愚痴愚痴言って。
解決することもないから、ただただ同じことを繰り返し、同じことを書くばかり。
いつか書いた、コピペ人生。
あははは
っと。
笑い声も出ない。
さぁ、あなたの笑い声を私に!w

いい日が続けばいいですね。
閉めの言葉、重い浮かばなので、こんな感じで。