くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

ペルソナ好きによる独り言

明日はスーツで、サークルのなんちゃら式っていうのに行きます。
飲み会のようなものだけど、飲まないと思います。
多分。
いや、飲むかも。でも終電には間にあうかと。
で、夜風に吹かれながら、地元の駅から自転車を押して家まで帰るんだ。
飲んで、抑制を外して、それで皆に笑ってもらいたい。
そのとき、自分は幸せだ。
笑われているということ自覚しながら、自分の思うとおりに人が感情を出してくれたら、幸せだと自分は思っている。

「これが君です。」といわれても、それは一部なのだと知りました。
それを知っていただきたいと考え、キーボードを叩いているのでございます。

ゲームのペルソナって知ってますか?
知らない人でもおk。

ペルソナ≒仮面≒人格なんですよ。
誰もが複数の人格を所持していて、それを状況や相手によって付け替えることで、人と対応する。
「素顔」というのはあるのかな、と思います。
その「素顔」というのも、仮面だったなんて。
そんなことも考えたりします。わけわかんないですね。

こっからは全くの独り言です。
だから、3、4で何故、仲間がペルソナを付け替えることができないのかと。
それが不思議でならない。
人は、1つの人格しか持っているわけではないのに。
想像するに、コミュの存在が一番なのだろうなぁと。
たとえば、直斗であれば運命コミュで固定されるため、運命のペルソナしかつけられない。
ってことかな。そういう意味でも、異聞録、罪罰はペルソナだったのだと思う。
3、4も好きだけどね。


こっからは話を戻します。
長年、自分は自身を、境界例であると信じてきました。
そうではないという結論?というべきか、それが先日、主治医から聞かされました。
散々そう言ってくれた人の通りだ、と心の中でふきだしました。

でまぁ、何が言いたいのかといえば、人格は一個じゃないということで。
自分は境界例だとしても、それが数ある人格の中で一番強いだけ。
自己愛もあるかもしれないし、回避性もあるかもしれない。
ペルソナをプレイしている人は、今更かもしれませんがw

境界例というカード、自己愛というカード、回避性というカード、それぞれにペルソナがいる。
で、境界例のペルソナがLv56、自己愛のペルソナがLv40、回避性のペルソナがLv29って感じで。

ペルソナなんてゲームを考えた人、そのゲームの元のネタを考えた人、ネタそのものの考えを興した人、凄いなぁ。

関係ないけど、せきが出てくる。
やべぇ。電車および学校で白い目で見られるヒイィィィ!!(゚ロ゚ノ)ノ
早く寝ろって話ですよね。
でも、書きたいんですよ。
明日のことが不安でw
書く話題を探して、それを基に書いて、不安を紛らわせようとしたけど無理でしたw
では、下の記事に引き続いて長々と失礼しますた。