くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

境界例

自分でなきゃいけないこと・もの・相手、ってありますか?

自分にはそういうのがないんですよ。
ないと言うのは言いすぎで、それを感じられないだけなのかもしれません。
ですが、自分はない、と思っています。

存在感ってやつですかね。
そういうやつ。
困っている人がいたって、自分が助けられるわけがないよなぁ。
助けるのが自分である必要がないよなぁ。
そもそも、声をかけるのが自分である必要がないよなぁ。
別に代わりはいるよなぁって思います。

両親は別にしておきます。
真意はともかく、「親」ですから、自分の子供としての存在感はあるんじゃないかと思います。
これも思い込みだったら悲しいですが。

自分が他人に何かを問い掛けるとき、それは自分が欲しがっているものです。
~ですか?とか。
その~が欲しい。
今回は「自分でなきゃいけない」というそれ。

こうやって欲しがって、回避するから手に入んなくて、イライラして、悲しくなって、愚痴る。
という一連の流れ。
そんな自分に飽きもせず、同じことを繰り返す。
それにまた自己嫌悪。

自己嫌悪って何回打ち込んでんだろうな。

昨日の下ネタ、どうでした?
自分は大体あんな感じなんですよ。
拍手、ありがとうございます。
拍手してくれる面白い他人、いっぱいいますね。

面白いっていう表現、誤解されるかもしれないけど、自分としてはプラスの感情。
嫌味で、「あなたは面白い人だ」って言うのじゃなくてね。

だってさ、電波電波ァァァァ!!!!の自分に、近づいてくるんですよ。
ネットっていうものを通していたとしても、近づいてくる。
そんなの変ですよ。

あなたたち、変です。
はい。
電波に近づくあなた達は変で、自分はこみ上げてくるほど嬉しいです。

でも、距離は保ったほうがいいです。
絶対にズタズタに傷つけますよ。
自分は境界例ですから。
ツイッターも含め、最近の文章、今までにも増しておかしいと思いませんか?
あれでも抑えているつもりなんです。

意味がわからないなら、それはそれでいいです。
でも、自分は境界例です。
文章で興味をひいて、同情を誘って、かまってもらおうって思考です。

だから、距離を保ったほうがいいっていう文章も計算なんですよ。
優しい人は、距離を保つなんてことしないだろうって、自分は考えてそう書いたんです。

ツイッターを始めたのだって、もしかして同じような人がかまってくれるかもしれないって思考からです。
そうでなくても、その書き込みを見た人がかまってくれるんじゃないかっていう思考で。
こんな境界例なんです。

っていう風に、自分は自覚していますっていうアピールもその1つなんですよ。
警戒心を解くための計算。
親近感を持たせるための計算。
境界例でも、自分は自覚しているまだマシなほうなんですっていう感じで。
境界例にマシもなにもないですよね。
つまらない。

ここを見ているとき、これらのことを思いながら見ると、わかりやすいかもしれないです。
ああこいつは今、計算をしながら書いているなって。
以上、境界例の戯言でした。
これで嫌いになった人は、さようなら。
改めて嫌いになった人も、さようなら。
ぜーんぶ計算ですから。