くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

くどい

どこかで、小さな子と話をするときは、その子の目線にあわせるように、自分も姿勢を低くするといいと見聞きしたことがあるような気がします。
どこだっけ?

そういえば、介護施設などでも、介護している方は、施設利用者の方と目線を合わせるようにして姿勢を低くしていますよね。
あれも、何か効果があってのことなのかな?


自分は、そうやって目線をあわせることって、相手を理解しようって姿勢のように感じます。
理解できるかは別にして、少なくとも何かわかってあげようって姿勢。

身体の動きとして姿勢を低くするとかだけでなく、何かものごとを見聞きしたとき、自分の中で目線をあわせてみるとか、そういうのも、自分の考える「目線を合わせる」に含まれます。

そういうのを、自己満足だと言う人もいるかもしれませんが、それもいいと思います。
結果として自己満足で人の助けになったら、一石二鳥みたいで。
ん、違うかもしれませんが(ノ∀`)

助けになることができなくても、相手としているだけで全く違うと思いますし。

あ、わかってあげようっていうと、偉そうで何か上から目線のようだ。
でも、その人の立場になることはできないのだから、わかってあげようって姿勢にどうしてもなってしまうような。

んー、やっぱり上から目線なんだろうか。

ごっちゃごちゃになってきた。

目線をあわせるのはいいことだ。
それは、わかってあげようという姿勢だから。
けど、わかってあげようって姿勢は、上から目線ではないか?


ん、少し?まとまった。

やっぱり、それは上から目線で、そこから目線を下げるんだ。
目線を下げて相手にあわせるんだ。
その姿勢がいいんだ。

よし。

上から目線で入って、同じ目線にあわせる。

ということで。

実際、目線をあわせて、その人の助けになることができたら凄いですね。

自分は馬鹿で、幼稚で、経験も足りなくて、無力です。
無力な自分ができることといったら、目線をあわせて、共感することくらいです。
それで、どうにか役に立てたかもしれないっていう自己満足もあって。
そんな汚い計算もありますが、わかってあげたい気持ちはあります。
それでも、無力なんですよね。
助ける力も、元気をあげる力も、何もない。

そもそも、お前は助けを求める方だろうって(;´Д`)
でも、目の前になんか苦しそうだったり、自分と似た想いでいる人がいたら、どうにかしたくて。
余計なお世話、かもですね。
黙ってみていればいいし、自分である必要がない。
それでもやっぱり。

なんて、他のところで書いた文から、こんなことをまた考えました。
毎度、長々と、すみませんです。