くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

諦めろ、試合終了だ

悲観論的ポルノっていう言葉を初めて聞いた。
経済学者?が経済に付いて悲観的な考えを述べ、でも、それを見られると恥かしい(隠したくなる)ってことを表すみたい。
・・・あってるかな(;´Д`)

テレビで取り上げられていた学者によれば、悲観論は見聞きすると気が滅入るものの、魅力があるらしい。
それに、悲観論は、人を「かしこくなったような気にさせる」ものでもあると説明していた。
ノストラダムスの大予言だかが取り上げられたりするのも、そういうものがあるのかなぁ。

今回、2名出てきた悲観論者のもう一方で、ベルリンの壁の崩壊とか、他にも何か予想を当てた人によれば、「楽観的な見解を述べていた経済学者は、今の経済状況を予想できなかった。それなのに、まだ彼らの意見を聞こうとする意味がわからない」みたいなことを言っていたような。

楽観的な予想は当たらない?
わからないけど。

ただ、悲観的にいつでも物事を見ていれば、失敗は少ないとは思う。
期待もそれほどせず、どうせダメだって気持ちで行動すれば、痛手も少ないだろう。

貯蓄だって、大きく見れば悲観的な行動じゃないのかなぁと。
もちろん、マイホームを建てたい、何か豪華な物を買いたいという考えもそこにはあると思う。
でも、将来、失業するかもしれない、何か悪いことがあるかもしれないっていう考えで、貯蓄をしている人が多いんじゃないのかなぁって。

そうやって、いつくるともしれない痛みを待ち構えることは悲観的なように感じる。
・・・まんま自分のことだorz

それでも、人との間では、悲観的なものは好まれないと思う。
「暗い話になってごめん」っていう前置きをしなければ、話をきりだせないように。

人を励ますときだって、
「どうせ将来、上手く行かないことだらけだ。今上手く行かないのだって、そのひとつに過ぎないのだから、諦めておけ( ^ω^)」なんて言わないだろう。

やっぱり、

「諦めたら、そこで試合終了だよ(゚ω゚)」 


「バスケが、したいです・・・( TДT) 」

のはず。

少なくとも、自分は、タテマエというか人前では楽観的に、ホンネとしては悲観的に物事を見ている。
これは今更変えようのないことだと自覚している。
誰でもそうなのか、わからないけど。

ということで、みなさん、諦めず、明日を信じて生きていきましょう。
明けない夜はないのです。
・・・はっはっは、ワロス( ^ω^)
って思いが実際。

ここまで書いてきて、自分の書いていることに自信がない。
ともかく、ここまで読んだという方、お疲れさまでした(;´Д`)