ぎ、ぎぜんしゃ・・・?
※とても長く、読みにくいです。
今日は、友達のかみつきくんBくんが、遠路はるばる会いに来てくれました。
人を出迎えるという経験をしたことがなかったので、とても新鮮でした。
Bくんが来てくれるのだとわかった時から、とても不安だったのですが、会ってちょっと話したらなんの不安もなくなりました。
スカイプで話している雰囲気というか、間というか、そういうのを現実でもしていた感じで。
どれくらい楽しかったかとか、嬉しかったかとかは、直接味わった者しかわからないと思うので、置いておきますw
で、ここからはもう1人の友達の話を書こうと思います。
その名も、かみつきくんAくんです。
先に書いておくと、これから書くことは全て、僕の考えであって、Aくんの考えではないです。
彼は既に故人であり、今回は来てくれたBくんに遺品をもらうとともに、生前彼が書いていた手帳などを見せてもらいました。
人に見られる前提で書かれたものではないと思うので、ある程度本音が書かれていたと思います。
僕自身、いちばん目についたのが「自分の存在が他人にとって迷惑だ」といったものでした。
この点は、僕もよく考えるところで、とても共感しました。
たとえば、自分がいなければ父は母と離れることはなかったでしょうし、兄や姉と家族としてうまくいっていたのではないか。
親戚付き合いだって、僕がいなければ疎遠になることもなかったのではないか、なんて。
また、自分と関わることで、誰かの足を引っ張るとか、足かせになるとか、とにかく邪魔な存在になりたくない、と。
自分など存在しないほうがいい、いなくなったほうがいい、この世に不要な人間だ。
そんなのわかってる、死んだ方がいいんだ、でも死ぬのが怖い。
って感じのことをよく考えます。
他人には生きていてほしい。大事に思う人にはとても生きていてほしい。
けど、自分に対してはそう思えない。
こんなことを、共感できたらよかったのになと、今更思います。
何かしてあげられたのでは?なんておごる気はないです。
ただ、何かできたのではないか?と過信したりします。
スカイプで話をしたとき、以前より声の元気がなくて、それに気付いていた。
けど、ただテンションが低いだけとみなして気にも留めなかった。
ここで何か別の反応ができていたら、違う結果になったのではないかと。
変な表現ですが、死期を伸ばすことができなんじゃないかって。
1日でも2日でも。
Aくんにとって、僕は味方になれなかったのではないかと。
経済的に、僕は多少マシになって安定した。
そんな僕が、Aくんに共感を示したところで、「お前に何がわかるんだ」なんて思われたかもしれない。
僕は、部分的とはいえ(金銭的なものについて)、将来のことを深く悩む当事者でなくなった。
そんな当事者でない僕が、職場からもう来なくていいと自分を否定され、それでもくじけずに就職活動をして、心身ともにすり減らしていたであろう人の気持ちなんてわかるはずもない。
安易に人に共感をして、自分で相手を救った気になって、でも実のところは的外れな言動。
そんなことをする人間は、Aくんも近いことを書いていたように思うけど、相手を救った気になった勘違い野郎じゃないかって。偽善者じゃないだろうかと。
偽善がどんなものか、僕自身よくわからないですが。
僕の、「何かできたかもしれない」という気持ちの出所は、「自分がAくんと似た当事者である」という思いこみかもしれない考えからきているもの。
ここまで書いてきて思ったのだけど、僕は自分と似ているだとか近いだとか勝手に言っていただけかもしれない。
考えてみれば、状況が違い過ぎて。
同じ様な悩みを抱えているからといって、その人達の境遇が同じとは限らない。
やっぱり僕も偽善者になるのかも。
Aくんの助けになれたかもしれない、っていう自分に酔ってるだけだったり。
だけど、人に対する言動について、自分の本音とか考え出したらどうしようもなくなる。
やることなすこと全て偽善じゃないのかと考えたら、人になにもできなくなる。
また、相手から自分に向けられる言動について、それが偽善かどうかを考えることも果てしないと思う。
Aくんは、偽善を嫌っていたみたいで、自分が偽善者になることが嫌だったのかもしれない。
でも、誰かが悩んでいたり苦しんでいたりすると、声をかけずにはいられない。
その声をかける行為は「偽善かもしれない」と考える。けど力になりたいと。
葛藤してたのかなぁって、Bくんも話をしていたように思うけど。
それに、自分に向けられる偽善も嫌っていたのかな。
自分に向けられるものの、何が偽善かっていうのを見分けるのは難しい。
全て偽善だと考えて、誰にも頼らないというのも苦しい。
けど、偽善なんていらない。
それじゃ、どうやって助けを求めたらいいんだ?
助けてほしい、けど、それが偽善になるのならいらない。
でも助けがほしい。
もうわけわかめ。
偽善者だろうがなんだろうが、大切な人のためになるのなら、別にいいやって。
僕はAくんに対して、偽善者になっておきたかったなと今思いました。
亡くなった人について、こんな風に考えるなんてしたことがなかったです。
悲しさとか怒りよりも、なんか虚しい気持ちが大きくなりました。
なんなんだろうなぁ、って感じで。
どれだけ皆に必要とされていたか、嫌になるまで聞かせてやりたかった。
それを証明する方法が、その人が死ぬことだなんて、ただただむかつく。
やっぱり、怒りもあるみたい。
Aくんがもし生きていて、今回会いに来てくれたとき、Aくんは不安なくいられただろうか?
心の底から楽しめただろうか?
不安というのは、楽しいことを潰してしまう。
少しでも不安なことがあれば楽しさも損なわれる。
どんな手をつかってでもいいから生活の不安を取り除いて、気楽な気持ちであえたらよかったのになって思った。
今日は、本当にいい1日だった。
Bくんとは直接話したから、Bくんには触れないでいいやw
ここまで読んでくれたなら、嬉しいです。
どもども(・∀・)ノシ