くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

蘭人ちゃん、じゃなくAくん

先日、大切な友人が亡くなりました。
かみつきくんAさんと言います。

以下、Aくんと書きます。

出会いは、僕が以前やっていた、何年経ってもひきこもりというブログに、Aくんがコメントをくれたことからだったと思います。

Aくんが残したノートの中に、以下のように書かれていたそうです。Aくんのツイートとして読むことができます。


「心を病んだ人たちが安心できる、コミュニティをつくりたい。お互の価値観をなるだけみとめあい、ケイベツすることなく、それぞれのペースで生きる」


山田花子のえがいた理想郷に近いもの。サイバー上でも土地でもいい。出入りは自由。デイケアとはまた違うもの。」

「もし、自分にできることがあるなら、すべての人の助けを求める声を身をけずってききつづけること。理想論かもしれないし、ゴウマンな思いだと思う。 けれども、一人でもいいから相手の支えとなれるような生き方をしたい。」

「今の自分は勝手すぎた。もう死んでもいい。全力をつくして少しでも「心」の苦しみをなくしたい。自分みたいな若ゾウの妄言と思われてもいい。一人でも、頼ってもらえるなら、命をかけても支えたい。」

「サークルともまたちがう。コミュニティ主サイじゃなく、中外、いろんな人の保じょとか、したり。」

「ギゼンか?」


以上、太字として、引用しました。

Aくんは、「つらい、くるしい」と言う人を、自分の目が届く範囲で見過ごせない人だったと思います。
つらく、くるしんでいる人達のネガティヴな言葉を拾い、Aくん自身が、できる範囲で言葉をかけていたように見えました。
そのことをギゼンか?と自問しながら、それでもやり続けていたのではないかと。

同居人である、かみつきくんBさんと話をして、そうだったのではないかと想像しました。

また、Aくんは自分の目が届かない範囲の人達のことも考えていたように思います。
それが、「心を病んだ人たちが安心できる、コミュニティをつくりたい。」ということだったのではないかと。

僕は無知で、山田花子さんの理想郷というのはわからないのですが、ネット上であれ、日常暮らしている世界の上であれ、どこでも誰でも助け合える、支え合える場所を作りたかったのかなって。
そういう場所で、1人でも多くの人の助け、支えになりたかったのかもしれない。

Aくんが書いた文章の、勝手な解釈を書いてしまいました。すみません。


僕は、ネット上はネット上、現実(日常暮らしている世界)は現実と考えてきました。

けど、違いました。

僕は別にネット上のAくんが好きだったわけではなく、どこで何をしていても現実に存在したAくんが好きなのでした。

パソコンや携帯とにかくなんでも使って、人への気遣い、自分の感情、面白いこと、知的なこと、馬鹿なことを、喋ったり書いたりしている、Aくんが好きなのでした。


僕はネット上の人付き合いと現実の人付き合いは違うとか言って、線を引いていました。
Aくんは「今は友達と思えなくても、思ってくれる日を待ってる」って何度か言ってくれました。
生前の彼に、友達だ、って心から言えなかったというのが悔やまれます。僕が馬鹿です。


Aくんが相談してくれたときに、もっと力になれなかったのか?自分がAくんにできたことはもっとあったのではないか?と思うことがいっぱいあります。
でも、それは僕のおごりだと、今は思うほかないです。
Aくんの本心はもう知ることができないので、自分の都合のいいように、自分が楽になるように考えようとしています。


僕は、Aくんはどんなことがあっても死なないと信じ込んでいました。
勝手に、強い人間で、誰にでも声をかけるだけの余裕をいつでも持っているのだと。
けど実際は、自分自身が無理をしている中で、それでも人に声をかけ続けていたという。


Aくんが生きるのにもがいていたこと、人に優しく自分には物凄く厳しかったことを、僕は知っているし、忘れません。きっとこれは僕だけじゃないと思います。

でもやっぱりムカつきます。
死にやがって。
人には優しくして励ましてくれて、自分自身のことになったら違うとかムカつく。
悲しいし涙出てくるし鼻水出てくるしムカつくし。
文句も言えないから余計ムカつく。
悲しんでる自分に酔ってんのか馬鹿野郎と思うとまたムカつくし。

当たり前だけど、死んでからじゃ遅いんだぞ。
Aくん、大好きだ。