生き方そのもの
死なないように生きようと思いました。
何言ってんだ?と。
自分が苦しまないように生きようと思いました。
そうしたら、気分が思いのほか楽になりました。
僕が死ねば、悲しむか?ということよりも、何かしらの影響があることを自覚しました。
悲しみよりももっと深い、傷を与えることを自覚しました。
それならば、迷惑をかけても生きていようと思いました。
迷惑をかけても、傷とまではならないと思います。
「死ぬ」ことより「迷惑」をかけた方がよい、と思います。
迷惑をかけずに生きることが、きっと最善なのかもしれませんが、迷惑をかけずに生きるなんてことは、少なくとも僕はできそうにありません。
僕が生きている限り、何かしらの形で、誰かに迷惑がかかっています。
だから、迷惑をかけながらそれを自覚しつつ、生きていこうと思います。
僕は、苦しんで対価を得ることより、自分が楽になる方を選びました。
このような決断に関して「自分に甘い」と叱る人もいるでしょうが、僕には自分に厳しく生きて楽しいのかなぁ?という疑問があります。
楽に、と書けば変に捉えられるかもしれませんが、楽しく生きたいのでそうします。
親へのパラサイト。
そうですね。
僕にはその権利がある。
という主張ですが、理解は得られないでしょうね。
これに関する説明は、長くなるので省きますが両親等と僕の間であった出来事からしてのことです。
能天気でも馬鹿でもアホでもゴミでもクズでもなんでも良いです。
生きていれば、それでいいんです。
僕は人に、楽しく生きていてほしいと望みます。
それを自分に当てはめただけですね。
それでは、また。