くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

僕、君

そっか、それぐらいつらいんだね。とか言われたくて、通院してたりする。
こういう言葉を他人に求めるのって、なんかあざといし、鬱陶しいだろうから。
でも、通院が長くなるとそうもいかなくなる。

僕がやるのは、相手の意見を自分好みのものに誘導すること。
悲しいと言えば、大丈夫?みたいな感じで。

だけど、診察が進むにつれて、主治医に患者(僕)のクセのようなものを把握されてしまうと、そうもいかない。
悲しいそぶり見せてるけど、そうでもないでしょ?っていう感じ。
僕の先読み思考それ自体も、読まれてしまう。

僕もそれがわかって、もうこれ以上言うのは止めようってなる。

上の話とつながることなんだけど、最近の僕の課題というかひっかかっている言葉は、自分を特別視してる、別の場所に置いている、ということ。

例えば、他人が僕につらいことや苦しいことを話すのはいいけど、僕が他人にそういう話をしちゃいけない、とか。

僕は、良くも悪くも自分を別の所に置いている。
みんなの行動は許すけど、自分の行動は許さない。

僕が他人に、弱音とか苦しいとかつらいってなかなか言えないのはこのため。
なんで病院なら良いのかといえば、相手は仕事で、専門家だし、お金を払っているからいいだろうという。

ツイッターとか日記とかでは、特定した誰かに言っている形ではないから、まんま独り言感覚でできる。

一方で僕自身は、僕に誰かが弱音やつらさ、苦しさを話してくれることは億劫に思わない。
他人が自分に向けるそういう話は、受け入れられる。

何なんだろうこれ?と最近はこればかり考えてる。
他人の言動は受け入れられるのに、自分が同じことをすればそれを拒否する。
もうわからんちん。