くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

弱いショートケーキ

自分は、何をしているのか、と。
これじゃ、前と同じじゃないかって。
森田療法の本のあとがきを読んだんです。
「はじめに」にあとがきから読んで欲しいって書いてあったので。
そうしたら、自分が悪いと思っていること、例えば「人が怖い」ということをあるがままに受け入れるんだって。

そりゃ、言うは易し行うは難し。
侵入恐怖だっけ?一歩踏み出すことへの恐怖のこと。

自分で言えば、アルバイトに応募すること、アルバイトの面接に行くこと、アルバイトをすること。
全てにその恐怖がつきまとう。

森田療法によれば、「じゃ、その怖いまんまでれっつらごー」って感じらしい。
これはあまりにも乱暴な書き方で、語弊があるかもしれないけど、感覚として。


『人間が本来的に持っている「恐怖心」を何故異常と捉えるのか。
確かに、人より大きな恐怖心は持っているだろうが、それでも誰しも恐怖心は持っているだろう?』
ってな具合で。
自分が異常と思っているそれは、ありのままを見ると異常じゃない(かもしれない)。
って解釈であってんのかな。

潔癖症だって、超綺麗好き。
人間不信だって、超用心深い。

って、そんな風に思えたら、どれだけ楽なんだろうな。

自分は、ありのままっていうそれを、どうしても受け止められずにいる。
どれだけ自分を肯定しようとしても、無理だ。



最近、食欲がないというのは、根本に自分は食べ物を食べてもいいのか?という疑問があるため。
これまた考え過ぎで、自分はご飯を食べる価値があるんだろうか?って考えたら、食欲がなくなって。

そもそも生きていていいのか?って。
そうしたら、何もかもを閉じてしまいたくなって、ツイッターもこのブログも何もって思って。
だけど、こんな感じで結局できなくて。

自暴自棄にすらなる勇気がない。
なんてこったい。
酒飲めば、変わるんだろうか。
酒飲んで、嫌なこと忘れて、現実逃避。
アルコール中毒のフラグ。

薬依存にアルコール依存とまでなったら、それこそヤバイ。

それより、就職状況がヤバイ。
まず、バイトすら決まらないうちの田舎やべぇ。

有効求人倍率0.36倍ってヤバイ。
これでも、0.06改善したんですよ。
10人いて、3.6人に仕事はある。
仕事はある。
仕事は。
内容が問題なんだ。


就職活動は怖くなくなったのに、バイトを探すことが怖いのは何故だろう?
わかんね。
慣れ?
就職活動に慣れなんてないと思うんだけど。


先日話を聞いた採用担当者は「俺が大学4年の頃は2月(来年の)くらいからやってたけどなぁwww」って。
そりゃなんでも遅すぎだろjkとは思ったけど、まぁ、話を大きくしているとしても、それだけ昔は求人があったのだろうなって。

人がどんどん減っていく。
お店も、ガソリンスタンドも、ホテルも。

以前も書いたけど、合理的に物事を進めるのであれば、人間は要らない。
この世の中で不必要な存在は人間。
だから、合理的でない部分がないと、換言すると無駄がないと人間は生きていけない。
無駄があるから仕事がある。

無駄をなくす。
必要な無駄と必要ない無駄。
日本語としておかしいのかもしれないけど、そういうことなのだと思う。
って、どっかで聞いた話だったような。

無駄な自分は、必要のない無駄だって思う。
それでも生きていることに、申し訳なく思う。
だから、今、楽しめない。
愉しむ為には資格が必要だ。


自分には、両親に迷惑をかけてもいい理由も根拠もあるはず。
誰に何と言われようと、あるはず。
って、「僕」ならそう思えるんだけど、自分としては何故か後ろめたい。
そうして、今、悩んでる。

自殺ダメって、その言葉を見たかった。
馬鹿みたいだけど、その1つの文章で、少し涙が込み上げてくる。
それを止めるのはいつも「俺」なんだけど。

なんか、テンプレみたいだし、根拠もなくて安易だって批判されるかもしれないけど、自殺したいって言う人に、自殺ダメって言うことは、多分、良いことだと思う。
その言葉に根拠も理由も要らないのかもしれない。
別に、どこの誰とも知らない人間が死んでいくことに、引き止める理由も根拠も無いだろうに、言葉をかける。
それ自体に意味があるんじゃないのかって思ったら、やっぱり少し涙が込み上げてくる。

人は独りじゃ生きられない。
自分は、ネット上でそのことを知った。
今でも、現実世界でなければ、それは全て幻想だと言う人もいるだろうけど、自分はネットがなければ生きていけない。
ネット上では、少なくとも独りでいられる事のほうが少ないから。
そもそも、ネットっていうツールを使っている時点で、能動的なんだよな。
受動的な人間も、ネットに繋いでいる時点で十分、能動的なんだと思った。

この、何気ない言動に対する涙っていうのが、自分の基準となるような気がしている。
自分に涙が絡んでくるとき、自分自身はかなりおかしな人間になっていることが多い。
混乱状態にある。
ちょっとしたことで感情が揺れ動く。
何かの病気の説明をしているみたいだな。
でも、何気に涙が込み上げてくるのは、息苦しさと相まってくやしいというか。
説明するのに難しい感情。


甘えたこと言うな!って、甘えたことを言う立場になってみないとわからないんだよ。
人間は皆弱い。
弱いから、虚勢をはるんだろ。
弱いから、もっと弱そうな奴を非難するんだ。
そうして、強いって思い込みたいんだ。
でも、やっぱり人間は弱いんだ。
強いって思い込みも打ち砕かれるほどに、人間は弱い。
だから、弱い人間同士、傷を舐め合おうよ。
自分に傷が無いのなら、誰かの傷を舐めてあげたらいい。
それでも、こんな言葉すら甘えだって言う人もいるんだろう。
傷をえぐって、もっと傷口を広げる人間だっているんだろう。
別にいいけど。


自分は、傷を舐め合って、かばいあっていける社会がいいな。
弱いとか甘いとか、人間は基から弱い。だから甘えるんだ。
そんなことを考えた。