くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

涙でとけるなら

また詩を見て想う。
「泣いてすっきりする」

この感覚を味わったことがない。
泣いて、苦しみが和らいで、生きていこうだなんて思えなくて。

自分が泣いたのは、最近では診察中に2度。
それも、これまでの自分の成長というか、変化を肯定されたために、感極まってという感じだった。
その後の気持ちは、ただ恥ずかしかった。
みっともない姿を見せてしまったという気持ち。

悲しくて涙するというのは、ちょこ(犬)が亡くなったとき。
そのときも、すっきりなんてしなかった。
ちょことの思い出や、自分の無力感、ちょこの想いを考えていたら、ただ悲しくて涙が止まらなかった。
悲しみの気持ちだけ。

泣いてすっきりするとは、どんな感じなんだろう?
わからない。

自分は、「作為で」泣かせようとする映画も、ドラマも、ドキュメンタリーも大嫌いだ。
泣かせようとするBGMなんて耳障り。
ドキュメンタリーに関しては、不幸を売って金にしなければならないほど苦しいのなら仕方ないとは想うけど。
ただ自分は見ない。

それじゃ、感動したことが自分にはあっただろうか?
イチローの「あの一打」も鳥肌が立つほど凄いとは想っても、感動したとまではならなかった。


根本にあるのは、泣いても意味が無いということかもしれない。
泣いても、誰も助けてくれなかった。
泣いても、誰も見てくれなかった。
泣いても、何も変わらなかった。

そう考えると、泣くことそれ自体に対する諦めが、すっきりすることにつながらないのかも。
すっきりするということは、切り替えられると言い換えられそう。
問題を解消した又は解消したかのように思い込む思考に、切り替えられたような。

その切り替えができないために、自分は泣いてもすっきりすることができないのかもしれない。

と、想ったということを書くことに何の意味が?
ま、いいか。

出産について、か。

「子供に恵まれない」人の気持ちには触れられない。
「親に恵まれない」人の気持ちには触れられる。

自分が産まれたとき、どれだけの人が喜んでくれたんだろうか?
自分が産まれたとき、それを疎ましく思った人がいたと知ったときは、悲しく想った。
いらない子なら産まなければよかったのにな。
いらない子なら殺してしまえばよかったのに。
あの女のため、父をつなぎとめておく鎖になんてなりたくなかった。

離婚しない理由を、子供のためであるという人がいる。
子供を自分達の鎖にすることを肯定する人。
されたほうはたまったもんじゃないんだが。
まぁ、家族の体を成していたほうが世間体いいし、子供手当てももらえるしw

出産≠おめでたいこと
こんなこと誰だって知ってるだろうけど。

こんな悲しいときに、涙なんて全く出てこないな。
空しさに笑いが込み上げてくる。
そんな今日だった。