くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

逃げも隠れもしないが

漂ってるだけだ。
「本当の想い」を書けば、社会からは「駄目」だと言われる。
偽って人と接することに価値がないというのであれば、偽った文章を書き出すことにも意味はないだろう?

偽った自分、つまり価値のない自分が社会に必要とされているのなら、自分はそんな社会で生きたくはない。
けれど、今、自分がやっていることはその想いと逆のことだ。
連日のエントリーシートの添削、合同及び個別の企業説明会の参加。
逃げ出す勇気もなく、投げ出す勇気もなく、生きるためにどうにかしようと必死だ。

それを誰もわかってくれない。
言わなきゃわからない。
その通り。
でも、理解してくれる人がもういない。
確かに、就職支援課の人たちは自分のことを想ってくれている。

でも、自分が想って欲しいところはそこじゃない。
それを言えば、ただのわがままなガキだけど、そういうことだ。
そんなことを伝えることなんてできるわけもないから、ずっと脳内に留まったまま。

エントリーシートの定番質問として、「学生時代に頑張ったこと・打ち込んだもの」がある。
それを問われたとき、自分には何もないことに気づかされた。
自分はただ、「進学できるかもしれない」という話から、進学した。
大学は地元で、という以外にこだわりはなかったし、学びたいものなんて何もなかった。
今だって学びたいものなど何もない。知りたいことはあるけれど。
だから毎日がつまらなかった。
興味のない学問を学び、ただ単位取得のためだけに家と学校を往復する生活。

自分が頑張ったことは通学だった。
けれど、それは当たり前のことだと一蹴された。
片道2時間で通学している人間など他にもいるはずだ、と。
では、自分は何を頑張ったのだろうか?
勉強なんてそれなりにやった程度だった。
それなりでも優がくるような底辺の大学だ。
勉強で頑張ったことなど一度もない。

次、自分が打ち込んだもの。
これもない。
自分はバイトをするわけでもなく、部活に加入するわけでもなかった。
サークルなんて幽霊部員。
それは通学時間という制限下の中で、仕方の無いことだったと自分に言い聞かせる。
この言い聞かせている内容は、人からすればただの言い訳にしか聞こえないのだろうけど。

今日、添削中イライラして「学業で楽しいことなんて何もありませんでした」と伝えた。
そうしたら、「それじゃ、学業を頑張ったというのは書かないほうがいい」と。
面接などで突っ込まれたとき、答えようがないだろうというのがその理由。
それには自分も納得した。

その上で、やはり自分は思い浮かぶ限りにおいて頑張ったこと、打ち込んだものなど何もない。
周りの大学生の人たちは皆大人に見える。
自分はいつまでも子供で、何もない。
何もないと言うと、「それは逃げである」と返ってくる。
それじゃ、どうしろと言うんだ。・
この数週間、数ヶ月で何を生み出せと?

まだ間に合うではない。
もう遅いんだ。
それを言うとまた、それも「逃げだ」ろうって。

ここで書いたら楽になると思っていた。
実際、期待を込めてここに書いた。
だけど何も変わらなかった。
これに意味はあったのか?
それすらわからない。
どっちでもいいか、ただの愚痴に意味を求めることなんて無駄だから。

コメントありがとうございます。
現在、そのコメントを読み取り、真意をそれなりに予想して返信するという余裕がありません。
そのため、落ち着いたとき、返信をさせていただこうかと思っております。


また、見に行きたいブログが一杯ある。
その人たちの文章が読みたい。でも読めない。
多分、読み飛ばしてしまう。
せっかくの文章を無駄にしてしまう。
自分の頭が今、通常以上におかしくなっているから。
そういった自覚があるため、ブログが見れずにいる。
見たい。
見てそこから物事を考えたい。
自分は考えるのが好きなんだ。
それが妄想であれ、何であれ。

元気です。
頑張ります。
こう言わなければ、何も始まらないんだろう?

死ぬまで頑張ります。
死ねないことはわかっているから。
笑ってしまうこんな表明。
ただのボーダーじゃねぇか。
と、思って今日は終わります。
読んでいただき、ありがとうございました。