くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

リコール者

今日は、20日ぶりに外に出てきました。

いや、「コンビニとか最低でも近所のどっかには行くだろjk」と思ったあなた。
甘い。
自分は神聖じゃなかった真正のひきこもりですので。
それに、実家なので食事にも困りません。
基本的にお菓子も食べない、雑誌も読まないので、それらを買うこともなく外出する理由が無かったのです。

では、今日の出来事を。
大したことはないですが。
まず、新年一発目の講義。
1・2時限の計3時間を、眠ることなく乗り切った。
テスト範囲の発表があったので、講義も片手間に履歴書作成。
結構、書けた。
午前で講義は終了。

午後に病院へ。
年末、年明け、どちらも人が多かった。
理由は、新型インフルエンザのワクチン摂取のため。

このワクチン摂取、優先順位が決められている。

老人の多いこと多いこと。
そんなに生きたいのかと疑問に思う。

妊婦さんや小さな子供、小学生、中学生、高校生などに先に打てばいいのに。

老人が減れば、高齢化でなくなる。
医療費の増大も年金の増大も抑制される。
その浮いた分を若年層への保障に回せばいい。

老人の生への執着で若い世代が困っていく。
姥捨て山精神。

人間、80年なんて生き過ぎなんだよ。
60年くらいが丁度いい。
まぁ、孫の成長を見守りたいとか、人生の折り返し地点で再び楽しみたい、って理由があるのだろうけど。

って、話がずれた。

診察。
16歳からだから約7年間くらいか、担当してくれていた主治医と今日でお別れ。
いつものように、「体調は?」から。
次に、「最後に何か言っておきたいこととか、聞いておきたいこととかある?」って。

しつこいようだけど、
自分「自分の性質は治りますか?」
先生「難しい。病気ではないからね。」

先生「君の精神の病的なもの、たとえば鬱なんかは二次的なものだから」

自分の鬱は、一次的なものではなくて、二次的なものだということ。
つまり自分は、

なんらかの人格障害(一次的)→ 鬱病(二次的)

だから、鬱病が治ったとしても、当然のことながら人格障害は治っていない。
しかも、今の自分は人格障害というよりは、性質がそうだから治るとかお話にならない。


逆に言えば、一次的に鬱病になった人は治るということ。
統合失調症なんかもそう。治る病。
そして、人格障害が一次的で、それが原因で二次的に鬱病になってしまった人も、鬱が治り、人格障害も治る。

性質の自分は論外。
あはははは
じゃあ、何のために薬飲んでるの?
性質がおかしいから飲んでるの?
治らないのに飲んでるの?

って、思ったよ。
性質は、子供の頃から今までの経験によって作られたものだから。
また過去を恨めば良いのか?
それで何が変わるの?

変われない。
一生。
死ぬ勇気もない。

先生「7年間どうにか生きてこられた。だからその術はこれかもある」

わからない。
この7年間、目の前のしなければいけないと思ったことをしてきた。
それをつないできただけ。
これからもその作業?

性質に縛られたくない。
でも、結果的にそう行動している自分がいる。
悲しくて、それでも涙は出ない。

泣けば気が晴れるとか、そういう話でないことがわかっているから。

先生、さようなら。

現実で独りぼっち。
本当に独りになってしまった。
それも、自分が招いたことなのか?
自分のせいで独りぼっちなのか。

こんな自分にしたのは誰?
って、また恨む対象を定めて愚痴愚痴。
止める。

無駄だから。


明日は、履歴書やその他書類に必要な写真を撮るために、写真館へ行ってくる。
そのまえに、床屋さんに。
美容室じゃないっすよ。
美容室は「※」だけが行けばいいのです。

「写真館で撮ると、結果的に安く済むんだよなー。」
ってある人の経験則からそう言われた。
それに準ずる形で。


何度も書く。
これが頭から離れないから。
何で薬飲んでるの?
薬で人格矯正ですか?
ああ、納得、した気分。だと思う。きっと。

基がダメな人間ってことなんです。
欠陥者ってことです。
開き直りでも天邪鬼でもなく、事実でした。