くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

シロクマの天秤

今日は病院へ行き、その後にラベル貼りの作業に行ってきた。
いつもは自転車を使うのだけど、雨と風が強くて仕方なくバスで行ってきた。

今日は全国的にも大荒れの天気だったようで。


「助けてほしい」と「相手に申し訳ない」の綱引きというか、そういうのって、僕だけじゃないのでは?ってカウンセラーと話をした。

助けてほしい、気持ちが軽くなりたい。
一方、相手には心配されたくない、心配させることが相手の負担になって申し訳ない。

助けてほしいばかりでも、申し訳ないばかりでも成り立たない。

「くろにわくんの長年のテーマだね」って言われて、その通りだと思った。
人への気持ちのバランス。

なんか、僕を救ってくれる、救うように誰かが動いてくれたなら、それに対して見返りを渡さなければならない気がしている。
僕のために何か考えてくれたとか、心配してくれたとか、話を聞いてくれたとか、それに対して僕も何かをやらなければならない、と。
もらってばっかりじゃだめだっていう。

でも、自分の中には、人に対して何か渡せるものもできることも無いということを知っているから、申し訳ないっていう気持ちが強くなる。
これだけのことをしてくれるのに、僕は何にもしてあげられずにすみません、と。

「いや、見返りなんてもとめてないよ、いいんだよ」って言ってもらっても、僕の気が済まない。

等価交換できそうにないから、始めから自分から何かを持ちかけないのだと思う。

ただ、僕は、人が苦しんでいたりするとき、自分に頼ってきてくれたらできる限りのことはすると思う。
それに対して、僕は見返りを求めたりはしない。
ただ、その人の力になれたならいいなと。

こういう所で、僕は自分を特別視しているのだと思う。
自分は見返りを求めずに人の心配をできるんだ、とか。
そうなると、僕に関わってくれる人達を、まるで誰かを心配するのに見返りを求めるような人間と言わんばかり。
実際は、そんなこと思ってないけど。


自分が思うことを、人も思うって考えられない。
自分が痛いって思うことは、人はもっと痛いって思うんだろうなとか。
自分がつらいとか苦しいとか言ってるのって、人にとっては日常だろうとか。

同じとはいかないまでも、ある程度近い感覚を共有していると思えたらいいんだけど。

たとえば、僕がシロクマを見てかわいいなと思うとき、同じシロクマを見てかわいいと思う人もいるだろう。
そのときのかわいいっていう気持ちは、全く同じじゃないけど、近いんじゃないかなっていう。
僕の場合、自分がかわいいと思っても、相手は興味がないんじゃないかとか考えてしまうのが、変なところで。


ちなみに、シロクマが思い浮かんだのは、わが県の水族館でシロクマの赤ちゃんが産まれたから。
何故か僕は、シロクマの赤ちゃんが産まれてよかったなと思った(ο・㉨・ο)クマー

おしまい。

---拍手コメント返信---

>〇〇くん
えへへ、ありがとう(゚∀゚)

>○○さん
僕も、○○さんの映す写真や書く文章がいいなと思うので、毎回見に行ってしまいます(・∀・)
そんなことないと思うのですが、そう言ってもらえて嬉しいです!
見に来てくれて、コメントもありがとうです!