くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

(No Title)

今、チューハイの魔力から目覚めました。
1缶でダメだ。
でも、食欲が無くても一応、お酒さえ飲んでいれば少しはマシかなとかそんな感じで。

いや、多分間違ってんだろうけどw

改めて、今日はミーティング(集まって、何か話したりする)の日だった。
行く前は、明日のことが頭にあって行く気が起きなかったけれど、行ってよかったと思います。


自分は、やはり声に出して気持ちを表現することが重要なのだと考えます。
個人差があって、自分のように現実の音声として表現が苦手な人、声が出なくなってしまう人などはいると思いますが、「この場」ではそれが許される。


初めは落ち込んだ状態で、ピエロもへったくれもない表情で参加していたのですが、自分の今の状態、つまり四面楚歌(言いすぎか)の状態を知って欲しくて、それを言ったんです。
別に、治療を目的としているわけじゃなく、自分自身も参加者の方々に癒しの言葉をかけてもらおうだなんて思ってはいません。

なので、言いっぱなしですw
もちろん、司会進行役のカウンセラーの方がいるのですが、それでも感想を言う程度で深くは入り込みません。


けれど、それが心地よかった。
自分の気持ちを声に乗せて、不満、不安、苛立ち、その他諸々の感情を一方的であれ「共有させてもらった」ことに、自分は感謝をしたいです。


終わった頃には、始めの鬱屈とした気持ちは晴れ、知らぬ間に笑えるようになっていました。
その後、少し残って参加者の方々と話をしました。

内容は秘密ですが、楽しかったです。
なんというか、とても楽しかった。
会話ってこんなに楽しいものだったっけ?なんて思えるくらいに。


そして自分は知りました。
「大人だから、本音を話すことができる友達がいる」とは限らないことを。
また、奥さん、お子さんもいらっしゃる中であっても、自己実現がそれで図れたとは言えないということを。

上記の内容は担当者さんの話ですが、未だに探しているという言葉にはびっくりしました。
自分は、家庭を持つことができるだけの人なら、自己実現というよくわからないものでも達成可能なのだと考えていたからです。


これも多分、「社会の常識」とされることなんでしょね。
自分が嫌う、多数者の作り出した「理想的な人生設計に則った幸せ」。
自分はそれに毒されていたようで、今になってそれに気づき、恥ずかしい限りです。


とあるブログで、『結婚して家庭を築くことがすべてだと思いたくない。』という言葉がありましたが、その通りなのだと自分は担当者さんとの会話の中で、実感することができました。

確かに、家庭を築くことは人間社会にとっては大事な営みなのかもしれません。
大多数の人間は、きっとそれこそが決まりきった常識であると考えているものと想像します。

しかし、これも上記のブログからの言葉を借りるのですが、幸せなど自分の感情は『他人によって決められるものではない』んですよね。

あくまで自分がどれだけ満足することができるかが重要で、そこに他人からの評価を介在させる必要はない。

極端な話をすれば、自分は同性愛だってかまわないと思っていますし、性愛それ自体に興味の無い人だってかまわないと思っています。
後者に関しては、以前のネット上での友達の影響が大きいのかもしれません。
名前は忘れましたが、中性的な感情を持っている?人を指す言葉だったような。


自分さえ、自分達さえ満足することができたならそれでいい。
とても乱暴な話ですし、世間体がありますから中々そうスムーズにはいかないでしょうが、自分はそれでいいのかな、と思っています。

これまた例を挙げるとすれば、自分が自傷行為を行い、それで満足するならそれでいいじゃないか、と。
他人にとやかく言われる筋合いは無い。
でも、心配してくれる言葉はありがたく受け取ります。それは自分にとって、とてもありがたいことなので。


ラベル貼りだってそうです。
これは自分にとって大切な作業なんです。これで自分は満足を得ています。
他人が笑ったって、否定したって、自分はそれでかまいません。
何故か、ラベル貼りだけは胸を張って、自信を持って肯定することができますw

その時間、当然にバイトをしていた方がお金になるでしょうが、今の自分にはバイトをするだけの勇気がありません。そのため、仲間内でできる些細なことかもしれませんが、こういった作業を行っています。
些細なことというのは失礼ですね。
とても大事な作業を行っています。


あ、それと、担当者さんが自分達を含め参加者全員を、「俺は皆を自分の子供みたいにめんこい(かわいい)んだ!」って言ってくれて、凄く嬉しかったです。
自分の親に否定され、自分自身の存在感を疑問に思っていましたし、今も相変わらずなのですが、この言葉を聞いて、大分楽になれたように思います。


自分は人間(じんかん)距離というものがわかりません。
そのため、知らぬ間に相手を傷つけていたり、心理的に執拗に付き纏っていたりします(依存ですね)。

だから、自分は怖いです。
また失敗するんじゃないか、と。
参加者の方々に依存してしまうんじゃないのか、と。
担当者の方に依存してしまうのではないか、と。


今だって後悔ばかりし続けています。
あの時調子に乗らなければ良かったとか、配慮をしておけばよかったとか。

だから、本音を言えば、自分は今朝の携帯の件で心が踊ったんです。
また相手をしてくれるの?!なんて思って。
あの時、起きておけばよかったなんて思ったりもしました。
馬鹿ですね。恥ずかしいですが、これが本音でした。


自分は独り、それは変わりませんがどうにか自分なりの何かを見つけたいです。
何かというのは?と聞かれると困るのですがw

当面の明るさはラベル貼りです。
正直に笑っていいですよw
自分でも笑っちゃうくらいに夢中になってます。
お金なんて本当にどうでもよくて、作業それ自体が好きで。
これが糧になって、いつか自分で歩み出せたらなぁなんて空想していたりします。


珍しく、今日の記事は明るいかもしれないですね。
明日、ゼミの先生と会ったらまた落ち込むかもしれません。
なので、一時の明るさかもしれないですね。

また腕を切ると思います。
今の自分のはけ口は、それしかないので。
これもまた、自分にとっての幸せなのかもしれないです。
人から見れば不幸なのかもしれませんが。

根本的な治療にならないことは十分に理解しています。
しかしながら、四面楚歌状態の自分が幸せを感じられるのは、自分にあたるときなんです。
不安、不満、苛立ち、それらを自分にぶつければ、誰も傷つかない。
これは間違いないと思っています。


例外的に、大切な人や家族がいる場合、その方達はきっと自傷行為を悲しんでくれるのかもしれません。
怒って、涙して、悲しそうにして。
自分はそういったことに憧れます。これも馬鹿ですね。

自分には上記の人達というのが無いため、誰も傷つきません。
自分だけで対処できない問題を、どうにか自己完結できたのなら、それはそれで幸せなのかな、と。
それが今の自分にとっては自傷行為ということですね。
やっぱり馬鹿でしたw


また話が長くなりました。
今日も、ありがとうございました。