くろにわの雑記

精神障害者の日常、ゲーム、その他雑記です。

後悔の無い人生を送るって

野生動物以下に戻れってことかね。
「後悔の無い人生を送る」という前提自体、不可能であると自分は考えている。

過去に拘る自分が言うのもおかしいけれど、ある人と「もう一方の選択肢を選んでも、それが良い結果に繋がるとは限らない」といったようなことをやり取りした気がする。

つまり、どちらの選択肢も外れであった場合。
もっと言えば、複数ある選択肢全てが外れであった場合。
そんなものありえるのか?
これは可能性の話なので、正直に言えば例を挙げたらキリがない。

それこそ、選択肢が増えていく一方だ。


それら不幸の選択肢の中から、現在、たった今、1つだけ選ばなければならないとしたら。
将来に待っているのは何を選んでも後悔だけじゃないか?

過去があるから今があり、今があるから将来があるというのが自分の考え。
そのため、自分のように過去に比重が傾き過ぎているのは問題にしても、それらを途切れ途切れであるかのような考え方には賛同できないな。


「その時、その瞬間を 精一杯生きる事」
この文章自体には特に言うことはない。
が、「過去や未来に拘らず」と続くとそうはいかない。

過去や未来に拘らず、その時・瞬間を精一杯生きる。
これは刹那主義に他ならない。

確かに、刹那主義そのままに生きれば、後悔なんてないだろう。
刹那主義には「今」しかないのだから。
しかし、それでは人は何も学ばないことになる。

何も学ばない人間が溢れる世界なんて、想像したくもない。
誰かを傷つけたことを忘れ、自分が傷ついたことも忘れるような人間にもなりたくはない。

後悔っていうのは、反省や次につなげるための知恵の源なのでは?
後悔して初めてわかったことやわかることがあるのでは?

こんな自分が言った所で説得力の欠片もないけど。
後悔の無い人生。
それはただの、利己的で無反省な人間の開き直り人生ではないだろうか。


ま、某ブログ記事の感想なんですけどね。
24に言われたか無い。
と思われる方もいるだろうが、人生なんて一寸先は闇だって、先人の「後悔」から学んだことでそ。